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2025年7月 7日 (月)

米山(薩摩川内)

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後方に見える川内河口大橋で、ここが川沿いの道であるとわかる。
日曜日も走るコミュニティバスは、鹿児島では数が少なく、ありがたい存在。

2025年7月 4日 (金)

坂之上

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指宿枕崎線の踏切を渡る鹿児島交通の路線バス。
かつては、複数の系統で相当の運行本数がいたように思うが、現在はずいぶん減ってしまった。
大学が近く、学生の街でもあると思うが、坂之上の交通機関といえばやはりJRだろう。
踏切のすぐ近くに鉄道と並行して走る国道の交差点信号があり、ここは常に混雑している印象。
坂之上のイメージは、写真のような車の列だ。

2025年7月 3日 (木)

帖佐十文字

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白黒写真だと、相当昔に感じるかもしれないが、撮影は1993年。
しかし、あれから32年が経過した。十分昔なのかもしれない。

JR九州バス加治木線が走っていたのは、1997年3月まで。一度に全線が無くなったわけではなく、路線短縮が段階的に行われ、県内では、一番最初に廃止された営業所となった。
最後まで残った蒲生町~帖佐駅間は利用者も多く、厳しいながらも残る可能性を期待したものの、南国交通に後を託して消えていった。

2025年7月 2日 (水)

牧之原~桜ヶ丘団地間直通バス

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かつて、桜ヶ丘団地から牧之原まで直通するバスが運行されていた。
その昔、大隅半島側を運行していた三州自動車と、薩摩半島側を運行していた南薩鉄道とが一緒になったのが鹿児島交通。
同じ会社になってからも、基本的に中は分かれていて、労働組合はそのまま別組織として独立していたと聞いたことがある。
そこに、この直通バスである。
昔のことを調べていくと、旧三州の乗務員が担当する薩摩半島側の路線があって、国道10号系統のほか、鴨池港(16番)線と、桜ヶ丘団地(17番)線もそうだったのだとか。
桜ヶ丘団地線は、鹿児島交通にとっては初めての本格的な「団地線」。その運行開始にあたって、どんな駆け引きがあったのか、想像をめぐらすのは楽しいものである。

2025年6月30日 (月)

草道駅前

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国道3号を走る南国交通の路線バス。
かつては、川内から八代まで国道経由で直行する優等系統のバスがいて、熊本側の九州産交と相互乗り入れをしていた。
廃止後も、3号線には急行バスが走り、北薩の幹線として機能していた。
現在も、その区間をバスが走っている。各地で、路線バスが分断されていく中、県境を越えて、水俣市街地まで乗り入れる。
いつも当たり前に走るバスだけど、ずっと昔から走り続けてきた伝統の路線。時々は、乗ったり撮ったりしておくのもいいと思う。

2025年6月27日 (金)

布計小学校跡

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1993年、まだ山野線廃止代替バスが走っていた頃。
駐在のバスが布計小学校跡終点の近くに休んでいるのに気づき、写真を撮っておいた。

それから30年の時が経ち、代替バスも廃止になってから久しい。
昔の転回所がどうなっているか、ふと思い出して現地を探してみたら、

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バスの前頭部を守っていた屋根が残っていた。
周辺の藪にガレキが散乱していたところに、鉄板が埋まっているのを見つけて、汚れを払ってみると、見覚えのある文字が現れた。
まちがいなく、当時の看板だった。

これだけあればと、バスを貸し切って、ここで転回の再現をした。

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周辺の樹木が大きくなり、奥までバスを入れられないので、昔と全く同じとはいかなかったが、これを見て、記憶と現実が心の中で短絡した。
鉄道と違って、バスの廃線跡は何も残らないことが多い。
今回は、たまたま現役当時の写真を自分で撮っていたから、比較することができたが、多くの場合、そうした資料はないに等しい。
それでも、沿線を走ってみると、意外と発見はあるもので、当時のバス停を発見した時には思わず声が出た。
残念なことに、バス路線の廃止は続いていて、今後も廃線跡は増え続けるだろう。
何年も先のことかもしれないが、バス路線の廃線跡探訪をしようとする人が出てきた時、私の記録が、ヒントになればいいと思いつつ、各地の当たり前の景色を撮り続けている。

2025年6月26日 (木)

布計駅前

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旧山野線の熊本県境に位置する薩摩布計駅。
鉄道が廃止になった当時は、マイクロバスでなければ到達できないほどの未整備道路しか通じておらず、廃止代替バスも、専用のマイクロバスが準備された。
その後、交付金の減額に伴って減便、コミュニティバスとなったが、もし、今でも当時の廃止代替バスを南国交通が運行していたら?という想定で、演出を考えてみた。
バスの待合所は当時のまま残っていたものをそのまま活用。バス停は、コミュニティバスのバス停標識の上から南国交通の「頭」を取り付けた。
バス停名称は、書道の達人にお願いして、当時の書体に近い書き方で再現した。
バスの方は、小型貸切をお願いし、もし布計線用の専用車を貸切格下げで準備するなら、おそらく行先表示は最低限の改造で「紙対応」になるだろうと想像し、貸切バスの「歓迎札」の裏面に出力したものを準備して、車内側から見えるように出していただいた。
細かい話だが、路線バスのイメージなのでサンキューパスのステッカーも複製品を準備した。

ああ、なんという自己満足。
しかし、おかげで、今でもこんな廃止代替バスが現実に走っているかのような「再現」ができた。

2025年6月25日 (水)

鉄道橋をバスで渡る

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旧山野線の橋りょうのうち、舗装してそのまま道路になっている鉄橋がある。
鉄道が廃止になる直前に架け替えられたため、道路へのそのまま転用という、事例の少ないケースが生まれたものと思うが、鉄道の復活は困難でも、バスを走らせることならできるはず。
そう思って、廃線跡をたどるバスツアーを開催、この橋でのフォトランを実現させた。
このバスを走らせるにあたっては、橋りょうの幅員を実測。なんとか走れそうなことがわかった。
ここを走っていたディーゼルカーの姿を思い浮かべながら、実際にバスに乗り、BRTのような姿をカメラに収め、目的は達成できた。
場所は旧山野駅近く。お勧めの廃線跡探訪スポットである。

2025年6月24日 (火)

貴重な「市役所前」行き

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かつて、市営バスの市街地方面行きのバスといえば「市役所前」の行先で走っていたが、
ふと気づいたら、市営バスの市役所前行きのバスはずいぶん減ってしまっていた。
バスが次々にやって来る天文館でも、市役所前で登場するのは1番線ばかり。
ほかにもあるのだろうけど、7月に予定されているダイヤ改正では、天文館を通過するバスが減らされて、市役所前行きのバスどころか、市営バスそのものを見る機会が減ってしまいそう。

2025年6月23日 (月)

薩摩郡山

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国鉄時代から続くバス駅「薩摩郡山」
現在も窓口業務が続くバス駅は、全国的にも珍しいのではないだろうか。
区画整理事業で土地の位置や形状が変わり、駅舎は建て替えられたが、窓口はもちろん、駐泊の機能も維持され、乗務員が宿泊する行路が残された。
新築間もない駅の様子を撮ったものだが、建物は今もほぼそのまま維持されている。

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