かつて、桜ヶ丘団地から牧之原まで直通するバスが運行されていた。
その昔、大隅半島側を運行していた三州自動車と、薩摩半島側を運行していた南薩鉄道とが一緒になったのが鹿児島交通。
同じ会社になってからも、基本的に中は分かれていて、労働組合はそのまま別組織として独立していたと聞いたことがある。
そこに、この直通バスである。
昔のことを調べていくと、旧三州の乗務員が担当する薩摩半島側の路線があって、国道10号系統のほか、鴨池港(16番)線と、桜ヶ丘団地(17番)線もそうだったのだとか。
桜ヶ丘団地線は、鹿児島交通にとっては初めての本格的な「団地線」。その運行開始にあたって、どんな駆け引きがあったのか、想像をめぐらすのは楽しいものである。
1993年、まだ山野線廃止代替バスが走っていた頃。
駐在のバスが布計小学校跡終点の近くに休んでいるのに気づき、写真を撮っておいた。
それから30年の時が経ち、代替バスも廃止になってから久しい。
昔の転回所がどうなっているか、ふと思い出して現地を探してみたら、
バスの前頭部を守っていた屋根が残っていた。
周辺の藪にガレキが散乱していたところに、鉄板が埋まっているのを見つけて、汚れを払ってみると、見覚えのある文字が現れた。
まちがいなく、当時の看板だった。
これだけあればと、バスを貸し切って、ここで転回の再現をした。
周辺の樹木が大きくなり、奥までバスを入れられないので、昔と全く同じとはいかなかったが、これを見て、記憶と現実が心の中で短絡した。
鉄道と違って、バスの廃線跡は何も残らないことが多い。
今回は、たまたま現役当時の写真を自分で撮っていたから、比較することができたが、多くの場合、そうした資料はないに等しい。
それでも、沿線を走ってみると、意外と発見はあるもので、当時のバス停を発見した時には思わず声が出た。
残念なことに、バス路線の廃止は続いていて、今後も廃線跡は増え続けるだろう。
何年も先のことかもしれないが、バス路線の廃線跡探訪をしようとする人が出てきた時、私の記録が、ヒントになればいいと思いつつ、各地の当たり前の景色を撮り続けている。
旧山野線の熊本県境に位置する薩摩布計駅。
鉄道が廃止になった当時は、マイクロバスでなければ到達できないほどの未整備道路しか通じておらず、廃止代替バスも、専用のマイクロバスが準備された。
その後、交付金の減額に伴って減便、コミュニティバスとなったが、もし、今でも当時の廃止代替バスを南国交通が運行していたら?という想定で、演出を考えてみた。
バスの待合所は当時のまま残っていたものをそのまま活用。バス停は、コミュニティバスのバス停標識の上から南国交通の「頭」を取り付けた。
バス停名称は、書道の達人にお願いして、当時の書体に近い書き方で再現した。
バスの方は、小型貸切をお願いし、もし布計線用の専用車を貸切格下げで準備するなら、おそらく行先表示は最低限の改造で「紙対応」になるだろうと想像し、貸切バスの「歓迎札」の裏面に出力したものを準備して、車内側から見えるように出していただいた。
細かい話だが、路線バスのイメージなのでサンキューパスのステッカーも複製品を準備した。
ああ、なんという自己満足。
しかし、おかげで、今でもこんな廃止代替バスが現実に走っているかのような「再現」ができた。
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