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2006年10月12日 (木)

そんな遠足もありか?

 残念ながら、本日は昼休み直前に苦情対応があり、昼休みが半分なくなってしまった。なので、フェリー循環は運休。来週あたりから修学旅行もピークを迎えそうなので、臨戦体制(笑)で撮り回ろうと思う。
 結果、ちょっと時間ができたので昔話を書こうと思う。
 小学校の社会科見学で、たしか美術の展覧会か何かを見に行った。行きは徒歩で、帰りは電車である。私の通っていた伊敷小学校は、当時生徒数のピークを迎えており、1学年で6クラスあった。1クラスの人数は45人ほど。全校生徒は1,500人を超えていた。
 で、その日、見学に行ったのは6年生だけだったのだが、問題は帰りの電車である。黎明館で展示を見終わり、1組から5組までの約200人は貸切電車で、乗り切れない6組だけは、一般の電車で帰ることになっていた。もちろん、当時まだ現役だった伊敷線利用である。私は、この時1組。貸切の電車なんて初めてだし、いったいどんな電車がくるんだろうと楽しみにしていたのを今でも鮮明に覚えている。
 まず、乗車場所がすごかった。東郵便局から、旭相互銀行(現在の南日本銀行)にかけての歩道に、集合して待機。確か毎日朝にだけ乗り入れがあった引込み線に、連接車が乗り入れてきたのだ。
 ここに電車が入ると、当然山形屋バスセンターからのバスの出庫はできないし、安全地帯はないから、道路は我々が乗車する間、通行止めになる。電車は、片側全部のドアを開放し、一気に乗車、人数確認もしないまま、すぐに発車となった。(実際乗らなかった人もいて、一般の電車に乗車したはずである。)
 初の連接電車に、引込み線からの発車で、興奮していたが、まず、一番連接車らしい場所ということで、車両の連結部の鉄板の上に立って、カーブで車体が折れ曲がるのを体感した。それまで、国鉄の列車の連結部しか知らなかった私には、車体幅いっぱいの連結部は新鮮で、ほとんど終点までそこですごしたのを思い出す。

 小学校6年の時のこの体験は、当時としてもたいへん貴重で、ほかの小学校を出た人に聞いても、そんなことをした学校はなかったようだ。
 今思えば、これを企画した先生が、「やってみたかったから」選んだのではないかと思えるほど、マニアックだ。実は、同じ年に開催された修学旅行もマニアックで、なんと霧島からの帰りに、志布志に向かい、大阪からやってくるさんふらわあに乗船して、谷山港までの船旅を味わうという、これまたものすごいルートを選択されていた。
 自分が、もし学校で遠足のルートを自由に決めてよいといわれても、なかなか思いつかないルートであり、手段なのは間違いない。あの時、これらの行程を企画した先生は、いったい誰だったのだろう。

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コメント

マイドでアリマス。試験も終わって「ぜっこぉちょ~」のご様子で、ナニよりであります。
さて、チンチン電車でナニやら行ったってのは、乗り物好きのガキんチョには堪らないイイおもひでの様で(笑)
鹿児島市電に連接車ってのは??だったので、六弦さんの誇る(?)乗り物書棚から探して参りましたよ。昭和51年発行の誠文堂新光社発行の東京工業大学鉄道研究部編の「路面電車ガイドブック」←自慢シテマス(バキッ)
ソレによると、昭和41年7月と42年6月に2編成ずつ合計4編成が701AB~704ABとして交通局に入線。元大阪市の3000形を4両購入し、電動台車や電気品を各編成に割当てると共に、2編成分の車体と中間の付随台車を改造先のナニワ工機で新製されたとしてあり、702と704編成が新製された車体だったそうです。モーター出力が低かったそうで、その為ラッシュ時意外は運用から外れていたとか。。。
写真もアリマスが、ナカナカカッコイイですなぁ。

投稿: 六弦ヒロシ | 2006年10月14日 (土) 16時42分

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