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2023年7月10日 (月)

桜島町営バスの始まり

1988年発行の桜島町郷土誌。しっかりバスのことも記述があって、その存在が見過ごされてしまいがちな西桜島村営バスの運行開始時期がわかる。

「昭和初期の西桜島村内における道路は、久米氏著の「公僕三十二年の歩み」によれば「瀬戸海峡の閉塞により大正半島の名を冠せられたりと雖も、累々たる溶岩の集積に劃せられ、其の交通事情は依然として変わりなく、吾村は桜島の半円の東西に長く、北面の海岸沿いに點綴せる部落十を有し、其の間一貫せる正規の道路なく、ただ犬牙錯叢の石礫道路にて、満潮には其の道路の部分には波浪に浚われて交通不能の場所二三に止まらざる状態」であった。昭和五年になって、溶岩流に遮られた赤水部落を除き、横山から白浜の九ヵ部落を連結する海岸線道路を開鑿する計画をたて、昭和六年度から十四年度までの継続事業として工事を計画した。昭和七年十月に着工し、昭和十四年十月に完成すると松浦、袴腰間に自動車運送事業が開始され、袴腰を基点に船車連絡する経営が始まるに至った。」

「運行の開始は道路完成後の昭和十四年十一月三日であるが、その前年十三年の一月に事業開始の準備が始められた。一月二十四日の村議会に提案され、「西桜島村大字松浦四七ノ二番地先より、同村大字西道、藤野、武、赤生原、小池を経て同村大字横山六一の三番地先に至る乗合自動車運輸事業を経営せむとす」が同日議決された。」

そもそも、各集落の間には充分な道がなく、鹿児島への連絡は、各集落の港から小型の船を使うしかなかった。しかし、各港を改修するには膨大なお金が必要で、現実的ではない。そこで、現在もフェリーが発着している袴腰の港を整備して大型船が発着できるようにし、集落を結ぶ道路を整備して、バスを走らせることで、村民の利便に供するというもの。
船とバスと道路整備が一体で進められたという、それはまさに「島」のバスといってもいい。

桜島には、当時鹿児島~黒神を結ぶ航路もあったが、バスが黒神まで走るようになると、黒神航路の利用が減り、やがて廃止になっている。
また、東桜島側の国鉄バス路線もやはり戦前に運行開始しているが、それはまた次の機会に。

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