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2023年7月11日 (火)

昭和19年桜島に国鉄バス運行開始

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写真はJR九州バス旧桜島港駅。桜島町に切符販売は委託されていた。

昨日に続いて桜島町郷土誌から引用

「昭和十九年十二月十日には国鉄バスの垂水・袴腰線が開通し、船舶事業はますます発展していった。国鉄バスの袴腰まで延長について、噴火五十年記念誌に次のように記録されている。「村営船による交通量が増加してくると、国鉄線を袴腰まで延ばしてもらう運動を起こし、たびたび門司鉄道管理局へ出向いて願い出たが、計画途中に太平洋戦争が始まってしまった。この頃門司鉄道管理局内には垂水・袴腰線と、佐賀県高尾駅から長崎県の早岐駅に通ずる嬉野線の二つの路線が認可を申請していた。どちらが早く許可がでるか気をもんでいる時、垂水・袴腰線には『観光路線』の文字が入っている。時局がらよくないということで許可にならなかった。時の柴山県知事は田之浦から、桜島丸がトラックを運ぶ様子をいつも見ておられ、関心をもっておられた。ある時知事の車を船で運んでもらいたいという県からの話があった。肝属・曽於に出張のための試乗だったらしい。知事が大隅に出張するときは垂水丸で渡るが、車は鹿児島→重富→国分→福山→牛根沿岸を回って垂水に行き、知事を待ち受け、帰りはこの逆のコースを通っていた。桜島航路を利用すると時間も短く、タイヤ、部分品等も傷まない。桜島航路の交通上の重要性を認識、さらにその必要性を深く感じられ、親友である門司鉄道管理局長の伊能繁次郎氏を通して本省に路線の認可をお願いした。ようやく許可になったのが昭和十九年十二月十二日、桜洲小学校で柴山知事、伊能門司鉄道管理局長も出席され、外に来賓多数が参列して賑やかに開通式が行われた。その後国鉄は西桜島村交通部と連携して事業を推進し、桜島航路は国鉄路線の一部的存在となった。桜島港駅での切符発売は交通部に委託し今日に至っている。」

鹿児島には、北薩線、加治木線、国分線、山川線そして都城線の国鉄バスがあったが、戦前に運行開始されたのがはっきりしているのが国分線の桜島。少なくとも北薩線は戦後の運行開始で、ほかの路線はまだ資料を調べる必要がある。

それにしても、運行開始が昭和19年12月というのがすごい。鹿児島市交通局三十年史によると、昭和19年には保有車両を軍に徴用され、60両から45両に減少し、しかも燃料不足から運転台数はさらに少なくわずかに7.37台(1日当たり平均と思われる)残りの車両は遊休車として構内に雨ざらしの状態だったというのに、観光路線の新規認可とは。

ほかにも、郷土史をいろいろ調べておきたいところだが、WEB上で公開されているのは鹿児島市分のみ。ほかは販売されてはいるものの高価で、図書館に閲覧に出かけるほかないようだ。

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