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2023年7月 5日 (水)

鹿児島でバス事業が始まった頃

鹿児島市戦災復興誌から引用

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昭和57(1982)年に鹿児島市役所が発行した「鹿児島市戦災復興誌」。第二次世界大戦の戦災に関わることばかりでなく、鹿児島市の歴史について掘り下げて書いてある。その中の「バス」についての記述。
三州自動車、南国交通、林田バスそして市営バスの順に書かれているが、年代順というわけでもなく、編集の意図はよく分からない。しかし、現在につながるバス事業の草創期について触れられている貴重な資料である。

時系列がバラバラなので、慎重に読み解いていくと、
県内最初となるのは、大正7年に林田氏が川内~宮之城間でバス事業を開始。
次に大正15年に三州自動車が設立(のちの鹿児島交通)
林田氏が鹿児島市で昭和3年からバスを営業(鹿児島乗合自動車:通称「青バス」)。
青バスに対抗して、昭和4年から市営バスが運行開始、
青バスと市営バスの競争が激しく、昭和6年に青バスは市営バスに買収された。
同年、(青バスを失った)林田氏は鹿児島市に林田乗合自動車を設立。
その後昭和15年に南国交通の前身である北薩自動車が設立された。

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