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もう20年も前のこと。
奄美大島に行き、バスに乗り、バスを撮り、ささやかな打ち上げまで済ませた翌朝、できたばかりの台風が、進路を90度変えて奄美大島に接近してきた。
慌てて、飛行機の運行情報を確認したら、天候調査中。それでも、めったに欠航になることはないと思っていた当時の私、ひとまず最終便の搭乗予定を早めて、空港に始発のバスで向かった。
しかし、空港でまもなく知らされたのは、欠航の決定。
乗って行ったバスに、再び乗って折り返した。
それから、台風が過ぎ去るまで約3日間、奄美大島に缶詰め。仕事は休まなくてはならないし、妻には怒られるし(いまだに言われる)、散々な目にあった。
船が来なくなると、途端に食材が不足する島の宿。ビーフカレーのビーフがまるで見つからない、しかし家庭の味のカレーが夕食で、1,500円もして、でも、メニュー選択の余地なし。
台風の度思い出す。
奄美で台風の情報を知ったら、直ちに帰ることを考えるべし。深く心に刻まれた教訓である。
与次郎一丁目から、中央駅方面へ向かうバスは、交差点を左折して、浜橋から国道225号に出る。
与次郎方面へ向かうバスと、上下で経路を分けて、わざわざ迂回するルートをとる理由、そろそろ忘れられているような気がする。
与次郎ヶ浜は、観光地区と呼ばれ、通り抜けにくく、入ったら、出にくい形に計画された埋め立ての新市街地。
域内の道路はカギ型で、バイパスとしては使いにくく、出入り口も限定されていた。
結果、特に夕方の与次郎ヶ浜から出ようとする車の混雑が非常に深刻で、与次郎ヶ浜から、天保山交差点を右折する車が渋滞の末、直進車の進路をふさぎ、いつまでたっても交差点を越えられない状況が続くので、バスは全く時間が読めない状況となってしまった。
その後、バスは渋滞時に迂回運行するようになり、バス路線も、正式に上下で分けられることになった。確か、この時に交差点手前と左折後の天保山バス停に2か所とも停車するようになったのではなかっただろうか。
現在は、右折車線が延長され、さらに海沿いのバイパスが開通して交通が分散された結果、当時ほどの混雑は見られなくなったものの、与次郎地区に新たに乗り入れた鹿児島交通の路線も、市営バスと同じルートで設定された。
この、一見不思議な迂回ルートは、バスの定時運行のための工夫の結果である。
ただ、最近思うのは、この浜橋の右折も結構混雑する。もう、共月亭前を元通りに直進した方が早いのでは?
昭和47年の空港移転から、鹿児島市街地と現在の鹿児島空港との間を結んで走り続けている特急バス。
間もなく、鴨池港発着便が追加され、50年近く毎日運行が続いてきた。
それがコロナ禍で運休となり、現在も戻らない。
エアポートシャトルと空港リムジンは、ほかに伊敷経由も運休のまま。吉野経由は、空港行きの便が復活していない。
鹿児島空港の利用者数は戻っていると聞くし、コロナ禍を理由とするのは、いい加減無理があるように感じる。
こちらも、乗務員不足の影響なのではないか・・・と考えてしまう。
都市間高速バスなど、乗客は多いはずなのに、お盆の時期の増便もなされない。お客さんがいても、走れないもどかしさを感じているのは、おそらく、中の人も同じなのではないだろうか。
長島の最奥部、平尾の道路沿いに、島内一周2車線道路完成の石碑があるのに気づいた。
今でこそ、快適なドライブルートが完成している長島も、少し前まで未改良の区間が各地にあった。
写真に残していればと今さら思うが、鷹ノ巣本町のあたりの狭隘区間は、バスのミラーと沿道の建物の軒先があいさつするほど接近し、人とすれ違うのにも気をつかうような道だったし、平尾の集落も、大型車同士のすれ違いは、進路を譲り合う必要があった。
長い間、道路改良の努力が続けられ、ようやく完成した2車線道路島内一周。
しかし、だいたいどこの地域も歩む道は同じで、道路が改良され、誰もが自家用車を利用するようになると、路線バスの乗客はさらに減ってしまう。長島は、それでも今まで持ちこたえてきたと思うが、乗務員不足がそれに追い打ちをかけ、来月末で島内の一般路線は全廃されると発表された。
昨日、乗り納めのつもりでバスに乗ってきた。快適に走るバスにほかに乗客はほとんどなく、バス停どころか、歩く人も見かけない。
寂しいけれど、それが現実で、バス路線がまた消えていく。
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