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2024年10月の22件の記事

2024年10月31日 (木)

下田(あいばす)

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下田の県道から、集落の中を進むあいばす。
まさかこの道を、乗り合いバスが走る日が来るなんて、昔は想像もしなかった。
あいばすは、交通不便地対策なので、こういうところにこそ、走ってしかるべきなわけで、時々、あいばすを利用して、普段通る機会のない道の奥まで、バスに連れて行ってもらうのが楽しみである。

2024年10月30日 (水)

明和

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市営バスからの路線移譲を受け、明和の車庫も引き継がれた。
あれから3年、ついに、明和車庫が廃止されるという。
この風景も、あと1日。

2024年10月29日 (火)

石郷

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路線短縮によって生まれた新しい終点「石郷」
市営バス時代は、上之原が終点で、南国交通に路線移譲後も、同じ上之原の転回所を使っていたが、2停留所分短縮された。
この部分廃止により、バスは、転回することなく、吉野ゴルフ場隣接の車庫に回送することが可能となり、転回所の使用料が負担軽減されたのだろうと思う。
見慣れない行先で、どこだろうと戸惑う人もいるのだろうけど、そもそも、乗客は限られていて、廃止に伴って、大きな騒ぎにもならず、メディアにもとり上げられることはなかった。
石郷から、それなりに便数の多い中別府団地バス停までは、歩いて10分ほどの距離。あいばすのバス停もある。
終点まで乗って、ほかのバス路線に乗り継げるという意味では、難易度は高くない路線なのかもしれない。

2024年10月28日 (月)

高山(東市来)

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湯之元を発着していた東市来町内のバスの終点、高山。
バス停のすぐ横の階段を上がった丘の上に小学校があった。
鹿児島から、ここまで直通で走っていたバスは、市比野を経由して宮之城を結んでいたが、平成5年の水害の後、間もなく廃止され、
残された町内ローカルの路線が、ここで折り返し、上ってきた坂を下っていた。

その昔、朝、伊集院から高山を経由し、市比野経由入来行きのバスがあって、そんな時間にどんな需要があったのかと思っていたら、ここ、高山の小学校に勤務する小学校の先生の通勤のためと教えてくれる人がいた。
マイカーが普及する前、学校の先生も、通勤にバスを使っていたことに、あらためて気づかされた瞬間だった。

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2024年10月25日 (金)

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石橋で今も残る荻前田橋を渡るバス。
かつては、湯之元発着のローカル系統がここを経由していたが、コミュニティバス化されて、神村学園の通学系統1往復のみになり、
さらに、その系統も廃止された。

2024年10月24日 (木)

花野口橋

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廃止されたバス路線。
花野団地ができる前。現在の皆房車庫から、国道3号の花野口に出るバス路線があった。
皆房公民館前(旧)は、駐在のバスがいて、朝7時に通勤通学生をいっぱい乗せて天文館へ。
夕方、18時に皆房公民館(旧)へ。
そのほか、15時台に、天文館から、皆房公民館前経由で丸岡行きもいた。
現在も、回送のバスが走るものの、この区間をバスに乗って走ることはもうできない。
もっと乗っておけばよかった。

2024年10月23日 (水)

北埠頭ターミナル前

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撮影は1994年。
当時は、種子島・屋久島を結ぶ高速船が北埠頭から出ていて、ターミナルの前には、バスやタクシーがいつも停まっていた。
あれから30年。
ついに、このバス停を出発する路線バスは無くなり、到着便のバスが1便のみになった。
ターミナルビルの大半は使われておらず、周辺の道路は雑草が生えたまま手入れもされない。
タクシーは見かけても、客待ちではなくて、休憩中の様子。
何気なく撮った写真だったけれど、ビルに照明が灯り、歩く人がいるだけで、生きている感じがする。
どうにか、この施設をうまく活用できないものか、風前の灯火となったバス路線が消えてしまう前に。

2024年10月22日 (火)

野球場前

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現在、野球場前を通るバスは、平日のみ1日1往復。
市営バスから路線移譲を受けた鹿児島交通の6-3番線。
県庁を通るバスは、通勤需要に対応した1日数本のみの希少系統が集まる。
県庁から、この交差点を右折するのは1便のみ。
まだ、鹿児島交通になってから見ていないことに今さら気づいた。

2024年10月21日 (月)

竪馬場

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竪馬場は、数多くの系統のバスが集まる結節点。
付近には病院が多く、通院の需要も多い。
かつては、市電上町線も竪馬場を走っていたし、鹿児島交通の常安団地線もあった。
昔の地図を見てみると、この道の歴史は古く、国道10号が現在の長田陸橋ルートになる前から、今の形で道路があり、バスも走っていたらしい。

2024年10月18日 (金)

越路

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南さつま市大浦町の越路浜。
ずっと内陸を走ってきたバスが、突然開けた海の風景に出会うのが、越路。
どういうわけか、昔から大判時刻表に加世田~野間池間では唯一途中停留所「越路」バス停の時刻が出ていて
どんな大きな街なのだろうと思っていたら、実は、ここだったという合点がいくようないかないような感じを今も持っている。
海沿いに立つ食堂は、昼どきはいつもいっぱいで、駐車場も空きを見つけるのがたいへんなことも。
しかし、目の前を走るバスの乗客はわずかで、運行本数も減らされる一方である。
なお、バス停はこの食堂の近くというわけではなく、もう少し先に行った集落の入口にある。

2024年10月17日 (木)

上ノ坊

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坊津の旧道区間を行く鹿児島交通の路線バス。
かつては、この狭い道を、誘導員を同乗させて、大型バスで走っていたというから、
その需要の大きさはたいへんなものだっただろうと想像する。

港町を結ぶバスは、道路が未整備であればあるほど乗客がいて、とくに坊津はバスの利用者が多かったから、まさか廃止になる日が来るとは思いもしなかった。

2024年10月16日 (水)

谷上口

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JR九州バス北薩線の支線、都迫線。
かつて、蒲生町までつながっていた山あいのローカル線だった。
撮影の時点では工事中だったバイパスが完成し、旧道を走るバスの姿は、今では想像がつかないだろう。
朝夕2往復していたバスは、その後コミュニティバスが引き継いだが、現在は、郡山方面へ抜けるバスはない。

2024年10月15日 (火)

鹿児島に国鉄バスが帰ってきた

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10月12日土曜日。
10時からJR九州バス鹿児島支店で国鉄バスのお披露目があるというので行ってきた。
12時半から鹿児島駅で出発式。
懐かしい青色のバスは、秋の晴天の日差しによく映えて、だれもが「なんていい色なんだ」
と口にした。
確かに、かつて目にしていた国鉄バスそのもので、よくぞここまでこだわってくださったと、感心、感激するばかり。
関係者にお話を伺うと、会社もディーラーもノリノリで、細かい仕様の指定をしなくても、次から次に提案がなされて、
でも、細かい仕様をどうするか、例えば、リアの「国鉄」の文字をどこに入れるか?
昔の写真を比べながら、社長を交えて活発に議論をしたという。

久しぶりのバスに関する明るい話題。
そのまま宮之城までバスに乗り、夜は少し飲みすぎてしまった。心から嬉しい、喜びあふれた一日だった。

2024年10月11日 (金)

JRバスが青かったころ

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国鉄バスがJRバスに変わって、九州は真っ先に車体を真っ赤に塗り替えた。
1990年に、貸切バスをRED LINERとしてデビューさせると、その存在感は大きな話題となり、
やがて、定期路線バスも赤く塗り替わって行った。
JRになって間もなくの時期に新車で鹿児島に投入された青いバスも、そうした流れで1台ずつ
赤く変わっていき、いよいよ最後の「青バス」が無くなったのは、2006年のことだった。

あれから18年。
驚いたことに、北薩線の古希を記念して、国鉄バスが復刻されて戻ってくるのだという。
お披露目は明日、10月12日。
国鉄バスの外観はもちろん、細かい「仕様」までこだわっているものか、正直気になる。
さすがに、ワンマン機器は最新式になっていて、行先方向幕は白色LEDを採用しているようだが、
実車を見るのが非常に楽しみである。

2024年10月10日 (木)

峠(上場)

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ふれあいバス路線の上場高原。
出水駅から、コスモスの時期に合わせて、年1回臨時シャトルバスが運行され、中型バスが帰ってくる。
出水平野から、標高500mまで山道を一気に登る。
山の稜線を下に見ながら、空を眺められるバス旅ができるのはここならでは。

2024年10月 9日 (水)

安木屋場

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龍郷町の海岸を走るしまバス。
名瀬から芦花部、秋名まわりで走ってきたバスは、安木屋場が終点。この先、本龍郷、龍郷町役場方面へ向かうには、ワゴンタクシーに乗り換える必要がある。
バスは、ワゴン車の後ろで停車すると、私を降ろし、ゆっくり走り去った。

どこに行くのだろうと思っていたら、すぐ先の漁港の広場で折り返し待ちをしているバスの姿が見えた。

2024年10月 8日 (火)

東ヶ丘団地

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東ヶ丘団地は、海に臨む崖の上。
バスは、海沿いから、ヘアピンカーブを曲がって、よじ登るように団地へ向かう。
コミュニティバスになって、通常はワゴン車の配車となったが、撮影したこの日は、点検整備のためか、かつてのマイクロバスが代車で走っていた。

2024年10月 7日 (月)

唐浜

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奄美大島名瀬の市街地は、山が海に迫り、わずかな平地に人が集まる。
海沿いの埋め立て地には、中高層のマンションやホテルが次々に建設されていて、世界遺産登録の勢いを感じる。
バイパスの開通でその座を譲った旧国道を、空港からのバスが走り抜けていった。

2024年10月 4日 (金)

(奄美大島)空港

奄美大島の玄関口、空港を行くしまバス。
現在は、航空便に接続しているだけでなく、30分ごとのパターンダイヤになっていて、時刻表の要らない運行が継続されている。
LCCの就航で入り込み客数は増えていて、空港ターミナルビルは増築されてひと回り大きくなった。
レンタカーに押されていた空港連絡バスの乗客は、フリー乗車券の発売開始以来、一定数取り戻せているように見える。
かくいう私も、フリー乗車券のおかげで、レンタカーを使わなくなった。200_0148_20241004212601

2024年10月 3日 (木)

名瀬郵便局前

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雨の日でも濡れずに買い物ができる、アーケード。
各地の商店街に設けられたアーケードは、数を減らしている。
車社会で人の流れが変わり、中心市街地がシャッター通りになり、通り会の活動が低調になると、アーケードは維持できなくなる。
商店街のお客さんを運んでいたバスも、同じようにお客さんが減っている。
アーケードの衰退と、路線バスの衰退は、私はつながっているように思っている。

2024年10月 2日 (水)

喜界空港

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喜界島の中心部から、空港まで、よく整備された道路でまっすぐ。
バスは、空港に向けてこの道路を走ってくるが、旧道にも停留所があり、手前の交差点からひょこっと現れる。
平日も土休日も、3台のバスが走り、予備は1台。島内に路線バスは4台である。

2024年10月 1日 (火)

スギラビーチ(喜界)

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従来、基本的に島の外周を周回する県道沿いに走っていた喜界バス。
山手の高台を走る中央線と、外周の循環線を統合し、合理化を図るとともに、高齢者にも優しい交通機関として、さらに集落の細い路地まで乗り入れる系統を新設し、その際に、空港近くの観光スポット「スギラビーチ」を経由する路線ができた。
各地で観光地を結ぶバスがいくつもある中、ビーチの真横をバスが走り、海をすぐそこに眺められるのは、ここ、スギラビーチが県内唯一かもしれない。
撮りたい構図がいくつも浮かんで、欲張った結果、思った通りには撮れずじまい。かろうじて撮れたのがこの写真。
それでも、海とバスの近さは感じていただけるのではないだろうか。


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