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2025年1月の16件の記事

2025年1月30日 (木)

スーパー特急加世田廃止

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1992年4月のダイヤ改正で登場した鹿児島交通のスーパー特急。
錫山バイパスの開通で速達系統の設定がなされ、加世田~鹿児島間で、ハイデッカー専用車での運行が始まった。
(写真はT.Nishiyama氏提供)

鹿児島~加世田間を伊作峠経由で走る従来の特急バスが90分要するところ、スーパー特急は60分で結び、バイパスの恩恵を大きく感じたものだった。
1995年4月には、枕崎まで延長され、トップドアの上級仕様車が運用につくようになった。

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その後、朝の枕崎~加世田間が短縮されて加世田~鹿児島間に戻され、夕方のみ枕崎行きという変則運行に。
さらに、鹿児島から加世田への1本に縮小。
運行時刻も、現在と同じ夜の運行に改められた。

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加世田ベースでのダイヤで、なかなか乗る機会がなかったスーパー特急は、
鹿児島から乗ったら帰ってこれない、でも、魅力あふれる優等系統で、
このバスに乗るために、加世田に宿をとったというファンが、きっと何人もいるに違いない。

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いよいよ明日の運行で最後。せめて見送りたいが、果たしてどうなることか。

2025年1月29日 (水)

大門口

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天文館が歩行者天国になり、バスが迂回運行する必要があるとき、
決まって走るのが大門口。
繁華街を避けて走るルート上にあることから、普段ここを走る路線バスは少ない。
昭和50年代中頃、天文館に集中しすぎたバスの分散を図るため、
鹿児島交通の地方路線は大門口経由に改められ、天文館を経由しなくなった。
地方路線のお客さんは、山形屋バスセンターでの乗降がほとんどで、
天文館に停車しなくても、影響がそこまで多くないと判断されたのだろう。
時代は変わり、最後まで残っていた大門口経由伊作行きの系統が廃止され、
大門口経由の地方路線は見られなくなる。
年に数回、祭りで迂回する時には、昔、ここが本来のルートだったことを思い出すのだろう。

2025年1月28日 (火)

鹿児島幼稚園前

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慈眼寺団地を行く市営バス。
団地の造成年代が古く、幹線道路といえども、歩道はない。
鹿児島交通とダブルトラックで競うように走っていたのもすっかり昔話になり、
現在、天文館まで直通する鹿児島交通は数えるほど。土日には1便も走らない。
谷山電停で市電と接続し、団地を結ぶ市営バスが効率的で、便数も確保されて使いやすいということだろう。

2025年1月27日 (月)

つづら原

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元は、宮之城~横川~霧島間で、かつての林田産業交通が自社のホテルへ向けて路線開設したルート上にある。
霧島~鹿児島空港線も走り、南国交通とダブルトラックになるなど、観光ルートとして華やかな時代が過ぎ去り、
最終的には、万膳~牧園中学校の通学系統が残るのみとなった。
その通学系統の利用者もわずかで、昨年廃止。
この道を定期路線バスが走ることは無くなった。

2025年1月23日 (木)

草牟田小前

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城山団地内にある草牟田小学校。
目の前を市営バスが行き交うが、これらのバスは草牟田へは行かない。

草牟田は、国道3号沿いにある地名で、どうして城山団地にその名を冠した小学校があるのか。
それは、この道路をまっすぐ下ったところにある公民館の場所がかつての草牟田小学校で、
団地の開発後、山の上に小学校が移転後も、同じ学校名を残しているから。
元の場所はそもそも学校用地としては狭い上に、学校の真ん中に道路が貫いていて、
使い勝手も安全上も問題があったと聞く。
草牟田小前のバス停は、現在少し離れた場所にもあって、そちらは別系統のバスが停車する。
5-3番線は、かつての小学校を貫いていた道路を通って、山の上に上がってくる。

 

2025年1月22日 (水)

伊集院駅

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伊集院駅の駅舎が建て替えられてから10年ほど。
駅前広場も再整備され、かつてのイメージを一新した。
偶然にも写真に写っている車はモノトーン。
建物もモノトーン。
直線的で都会的で、かっこいいのだけど、昔の駅舎も良かったような気がする。

2025年1月21日 (火)

共研公園前

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鹿児島中央駅周辺で、市営バス独占の区間となっているのがこのあたり。
公園に沿って走るバスの姿が、理由がよくわからないけれど、とても好みで、ここを走るバスに時々乗りたくなる。

2025年1月20日 (月)

未撮影のバスを見かけたら

鹿児島ナンバーをつけるすべてのバスを撮りたい。記録したいといつも思っている。
20年以上そうしてバスを撮ってきた結果、1日カメラを持って歩いても、未撮影のバスが撮れるのは数台。
1台も撮れないこともある。
だからといって、趣味でやっている以上、現場の手を煩わせるのは避けたいから、運用を問い合わせることはしない。
まあ、電話がかなり苦手ということも否定できない。

なので、偶然未撮影のバスを見かけたら、どうにかして撮ろうとする。できれば確実に。実車中に。
中央駅構内で待機中のバスが未撮影。場所的に、これは吉野支所前行きだろうとダイヤを調べる。
直近の発車は、明和からの直通だから、さらに次の便。15分後に発車予定。

駐車中の場所では、撮りたい角度で撮れない。
中央駅を出て、最初の交差点では、中央寄りの車線に入ることが多いから、かぶられるリスク大。手持ちの標準レンズでは、引きが大きすぎる。
高見橋上だと、歩行者に支障される可能性がある。さらに、中央寄り車線を走ることが多く、他車にもかぶられそう。その先の交差点に右折車がいたら、車線変更する可能性もあって、撮影の構図も難しい。

15分あれば、確実に撮れる場所まで移動できる。歩いて、加治屋町交差点へ行こうと決断。
中央駅西口で、貸切バスの到着を撮るつもりだった予定はキャンセル。この1台にかける。

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それなのに、加治屋町交差点へ向かって歩いていたら、ふいに追い抜かれて思わず声が出た。
とっさに後追いを撮りつつ、行先を見たら「葛山」
しまった、吉野支所以外の行先を見落としていた。

でも、葛山なら、便数が少なくて、折り返しの予想がつく。問題は、日没前に帰ってきてくれるのか。
中途半端に太陽の光が当たると、バスの顔がてかったり、黒ずんだり、それも避けたい。

このあと、金生町へ移動して、折り返しのバスを待つことにしたが、果たして思い通りに行ったかどうかは、またいつかの機会に。

2025年1月17日 (金)

菖蒲谷入口

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年に数回、鹿児島でも雪が積もる。
通常、冬用タイヤを装着することのない車がほとんどで、少しでも路面が凍結すると、
交通は大混雑、冬用タイヤやタイヤチェーンを準備した車でさえ、巻き込まれて動けなくなる。
鹿児島市内でも、標高の高いこの辺りは、市街地よりも雪の量が多い。
写真を見ているだけでも、さすような冷たい空気を思い出す。

2025年1月16日 (木)

慈眼寺団地

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慈眼寺団地終点は、転回所らしい空き地はなく、それなのに、2社局が異なる路線で折り返しを設定している。
以前から、どうやってバスの向きを変えているのか謎だったが、実際にバスに乗ってみて、その謎は解けた。
終点の手前から、住宅地の路地に入って、ぐるりと一周するのがその答え。
折り返しの時間待ちが必要なので、終点でお客さんが下車するのは、このバス停ではなく、市営住宅の前。
回り方も、バス路線によって異なり、さらにあいばすも加わって、みんなそれぞれ。
バス停でバスが来るのを待っていると、そこから出てくるのか!と驚く慈眼寺団地。
ぜひ、この周回ルートをバスに乗って実体験してみるのがおすすめ。

2025年1月15日 (水)

西方

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鹿児島の西の海岸線を行く南国交通の路線バス。
外海の東シナ海は荒々しく、白波の立つさまを見ることも多い。
ここを走るバスは、ローカルとはいえ、毎時一本程度。
バスの少し高い座席から、海を眺めるのは贅沢なひととき。

2025年1月14日 (火)

屋地本町

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さつま町の中学校は統合されて、路線バスやコミュニティバスで通学する。
学校近くの屋地本町停留所には、通学時間帯になると、バスが町内各地から続々やってきて、中学生が降りてくる。
路線バスを残しつつ、スクールバスとしても活用してくれているおかげで、町の公共交通も維持される。
乗務員の確保が難しい今、こうした取り組みがもっと広がっていいと思う。

2025年1月 9日 (木)

1963年の遠足バス

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母はとにかく写真に撮られることが多かったようで、プリントやネガで写真がまとめて残っている。
撮影の記録もしっかりしていて、これは1963年。場所はえびの高原らしい。
鹿児島市内の高校の遠足で、当時最新型の貸切バスでえびの高原へ行った時のもの。
はたして、このバスはどのあたりのナンバーをつけていたものか、シャーシはどこなのか、
判断に迷うが、1963年の新車が配車されていたとしたら、
バスフォーラム鹿児島/鹿2あ5973
このあたりのバスだったのではないかと推測している。

2025年1月 8日 (水)

永野金山

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かつて、宮之城から永野を経て横川に抜ける道は、林田産業交通がバスを通すために自ら整備したとされている。
今でもかなり距離を感じるこの区間だが、当時は相当の需要があったらしく、道路が通ると、霧島の自社のホテルに向けて、川内、串木野から直通のバスが走った。
昭和50年代になってマイカーが普及すると、それらのバスは系統が分割され、宮之城~霧島間のバスは、1往復だけという時期が続いた。
もうそれ以上減らしようがないと思っていたのに、なんと日曜祝日のみ1往復運行という究極の「路線維持ダイヤ」が出現。
驚いたことに、それまで中型で運行だったものが、週1回だけ大型でやってくるように変わった。
写真は、当時駐在があった永野金山車庫。中型は、この車庫に駐在していたバスで、日曜祝日ダイヤのため、車庫で休んでいるところ。
一方の大型バスの方は、霧島からやってきて、この車庫で転回、折り返しを待っているところ。

週に1回だけだし、本当にバスが走るのだろうかと半信半疑で現地に行ったら、こんな豪華なバスが来て、たいへん驚いたのを昨日のように覚えている。撮影は1996年である。

2025年1月 7日 (火)

宮之城(南国交通)

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宮之城の南国交通のバスターミナル。
かつてはビルの1階がバスセンターになっていたが、老朽化で解体され、跡地がガソリンスタンドになった。
そのガソリンスタンドの後ろに待合室が設けられ、バスが周回する形で乗り入れていた。
撮影した2001年当時、空港特急バスの発着は、宮之城ではここだけ。鉄道記念館とは離れていて、余所者にはバスの乗り場を探すのが一苦労だった。

2025年1月 6日 (月)

阿久根駅前

新年あけましておめでとうございます。
バスフォーラム鹿児島も、ブログも今年で26回目の新年を迎えました。
引き続きよろしくお願いします。
今日も通常運行で進めてまいります。

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撮影は1993年。国道沿いにはアーケードが続き、国道を走る数々のクルマにも時代を感じる。
数は減ったといえ、現在も続く水俣行きのバスは、貴重な県境を越える路線。
この時代、もっとあちこち乗って回っていれば、撮って記録に残していれば、と今さら思うが、
それでも、安いモノクロフィルムを使ってでも、撮っておいてよかった。何気なく撮った写真が今や貴重な記録になっている。
コンテストで入賞するような写真はなかなか撮れないけれど、記録という意味で、今年も引き続き、あちこちにカメラを持ち出そうと思う。

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