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2025年6月の20件の記事

2025年6月30日 (月)

草道駅前

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国道3号を走る南国交通の路線バス。
かつては、川内から八代まで国道経由で直行する優等系統のバスがいて、熊本側の九州産交と相互乗り入れをしていた。
廃止後も、3号線には急行バスが走り、北薩の幹線として機能していた。
現在も、その区間をバスが走っている。各地で、路線バスが分断されていく中、県境を越えて、水俣市街地まで乗り入れる。
いつも当たり前に走るバスだけど、ずっと昔から走り続けてきた伝統の路線。時々は、乗ったり撮ったりしておくのもいいと思う。

2025年6月27日 (金)

布計小学校跡

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1993年、まだ山野線廃止代替バスが走っていた頃。
駐在のバスが布計小学校跡終点の近くに休んでいるのに気づき、写真を撮っておいた。

それから30年の時が経ち、代替バスも廃止になってから久しい。
昔の転回所がどうなっているか、ふと思い出して現地を探してみたら、

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バスの前頭部を守っていた屋根が残っていた。
周辺の藪にガレキが散乱していたところに、鉄板が埋まっているのを見つけて、汚れを払ってみると、見覚えのある文字が現れた。
まちがいなく、当時の看板だった。

これだけあればと、バスを貸し切って、ここで転回の再現をした。

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周辺の樹木が大きくなり、奥までバスを入れられないので、昔と全く同じとはいかなかったが、これを見て、記憶と現実が心の中で短絡した。
鉄道と違って、バスの廃線跡は何も残らないことが多い。
今回は、たまたま現役当時の写真を自分で撮っていたから、比較することができたが、多くの場合、そうした資料はないに等しい。
それでも、沿線を走ってみると、意外と発見はあるもので、当時のバス停を発見した時には思わず声が出た。
残念なことに、バス路線の廃止は続いていて、今後も廃線跡は増え続けるだろう。
何年も先のことかもしれないが、バス路線の廃線跡探訪をしようとする人が出てきた時、私の記録が、ヒントになればいいと思いつつ、各地の当たり前の景色を撮り続けている。

2025年6月26日 (木)

布計駅前

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旧山野線の熊本県境に位置する薩摩布計駅。
鉄道が廃止になった当時は、マイクロバスでなければ到達できないほどの未整備道路しか通じておらず、廃止代替バスも、専用のマイクロバスが準備された。
その後、交付金の減額に伴って減便、コミュニティバスとなったが、もし、今でも当時の廃止代替バスを南国交通が運行していたら?という想定で、演出を考えてみた。
バスの待合所は当時のまま残っていたものをそのまま活用。バス停は、コミュニティバスのバス停標識の上から南国交通の「頭」を取り付けた。
バス停名称は、書道の達人にお願いして、当時の書体に近い書き方で再現した。
バスの方は、小型貸切をお願いし、もし布計線用の専用車を貸切格下げで準備するなら、おそらく行先表示は最低限の改造で「紙対応」になるだろうと想像し、貸切バスの「歓迎札」の裏面に出力したものを準備して、車内側から見えるように出していただいた。
細かい話だが、路線バスのイメージなのでサンキューパスのステッカーも複製品を準備した。

ああ、なんという自己満足。
しかし、おかげで、今でもこんな廃止代替バスが現実に走っているかのような「再現」ができた。

2025年6月25日 (水)

鉄道橋をバスで渡る

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旧山野線の橋りょうのうち、舗装してそのまま道路になっている鉄橋がある。
鉄道が廃止になる直前に架け替えられたため、道路へのそのまま転用という、事例の少ないケースが生まれたものと思うが、鉄道の復活は困難でも、バスを走らせることならできるはず。
そう思って、廃線跡をたどるバスツアーを開催、この橋でのフォトランを実現させた。
このバスを走らせるにあたっては、橋りょうの幅員を実測。なんとか走れそうなことがわかった。
ここを走っていたディーゼルカーの姿を思い浮かべながら、実際にバスに乗り、BRTのような姿をカメラに収め、目的は達成できた。
場所は旧山野駅近く。お勧めの廃線跡探訪スポットである。

2025年6月24日 (火)

貴重な「市役所前」行き

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かつて、市営バスの市街地方面行きのバスといえば「市役所前」の行先で走っていたが、
ふと気づいたら、市営バスの市役所前行きのバスはずいぶん減ってしまっていた。
バスが次々にやって来る天文館でも、市役所前で登場するのは1番線ばかり。
ほかにもあるのだろうけど、7月に予定されているダイヤ改正では、天文館を通過するバスが減らされて、市役所前行きのバスどころか、市営バスそのものを見る機会が減ってしまいそう。

2025年6月23日 (月)

薩摩郡山

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国鉄時代から続くバス駅「薩摩郡山」
現在も窓口業務が続くバス駅は、全国的にも珍しいのではないだろうか。
区画整理事業で土地の位置や形状が変わり、駅舎は建て替えられたが、窓口はもちろん、駐泊の機能も維持され、乗務員が宿泊する行路が残された。
新築間もない駅の様子を撮ったものだが、建物は今もほぼそのまま維持されている。

2025年6月20日 (金)

ニシムタ(大口)

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決して迷い込んだわけではなく、ここが、通常走る路線。
ニシムタの店舗駐車場の中に設けられたバス停に立ち寄るために、国道から入ってくる。
しかし、それがわかっていても、バスで買い物をしに来たかのように見えてしまう。

2025年6月19日 (木)

国分駅

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霧島市の中心駅。電化されていて、特急も停車するし、利用者も多い。
普通列車も鹿児島中央方面へ毎時1~2本は確保されている。
というイメージでこの駅に降りたつと、その小ささに驚く。
駅前広場はバスが周回するのがいっぱいいっぱいで、路上駐車があるとそこで詰まってしまう。
そもそも、駅前に乗り入れるバスが限定されていて、現在も駅近くの路上発着のバス停が残る。
その雑然とした感じには、愛着すら感じるが、再整備があってもいいような気がする。

2025年6月18日 (水)

河頭中前

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河頭中の正門前を行くあいばす。
元々、この道はバスが走れるような幅ではなく、路線バスの運行もなかったが、河川改修で現在のような幅になり、健康の森線の路線バスの一部がこちら側を経由するようになった。その後運行開始した、コミュニティバスあいばすも、集落のあるこちら側を走っている。
あいばすは、乗務員不足に伴う運行事業者の変更で、ジャンボタクシーでの運行に変わったが、急な坂道と昔ながらの風景を見ながら走るバスに乗れる、貴重な区間だろう。

2025年6月17日 (火)

(鹿児島)大学病院前

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現在改修工事中のため、臨時バス停に発着している大学病院前。
2階に車寄せがあるため、車道の下を使って雨がしのげるという合理的なバス乗り場が印象的だったが、工事でこの景色は一変することになりそうだ。

2025年6月16日 (月)

賦合

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旧道のバス停にお客さんが待っていて、そこに大型のバスがやって来る。
この当たり前だった風景が次々に失われていき、もはや珍しいとも感じるようになった。
バスは、バイパスが開通しても、旧道のまま走り続けることが多い。
そこにお客さんがいるから、バスは遠回りでも、狭い道でも、このバス停にやって来る。

2025年6月13日 (金)

大峯団地中央

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鹿児島インターすぐの流通団地内を行く南国交通のバス。
流通団地のすぐ上にある専門学校や高校の通学専用のバスで、流通団地内は通過するだけ。
16時を過ぎると、学校から中央駅へ向かい、すぐに学校に戻って改めてそれぞれの目的地へとこの団地内をバスが次々に走り抜けていく。

2025年6月12日 (木)

鹿児島駅前

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鹿児島駅前バス停は、少し前までバスであふれるタイミングが何度もあった。
発車待ちのバスが二重に並ぶこともあり、朝方バスを撮るならここという名所でもあった。
現在、駅前広場が整備され、さらにバスの減便も一気に進み、今やバスが2台並ぶのもそう多くは無くなった。
いろいろなものが変わっていく。特に意識もしないで撮っておいたこんな写真に、懐かしさを感じる。

2025年6月11日 (水)

昭和46年の鹿児島(鴨池)空港

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昭和46年、鹿児島空港が現在地の溝辺へ移転する前年の記録。
桜島をバックに航空機が発着していた記録としては、貴重なものだろう。

そして、ターミナルビル前での記念写真。
左に見切れているのは、天文館方面への連絡バスの看板と思われ、当時運行していたのは南国交通だろう。
願わくば、全景やバスの写真があればと思うが、撮影者にそういう意図はなく、それでも、当時の空気感が伝わってくるようだ。

2025年6月10日 (火)

昭和43年のえびの高原

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実家のモノクロ写真をデジタル化していたら出てきたバスの写真。
否、あくまで人物を写したものだが、撮影者は明らかに後方のバスを意識していたと思われ、しっかりバスの後部までフレームに入っている。
バスのボディに書かれているのは「南鉄バス」
おそらく、南薩鉄道のバスと思われるが、三州自動車が鹿児島交通へ会社名を変更し、南薩鉄道を合併したのは昭和39年のこと。
撮影年の記録が違うのか、それとも、バスの表記がその頃まで残っていたのか。
ネガのほかのコマからえびの高原での撮影と思われる。

2025年6月 9日 (月)

(指宿)ホテル入口

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指宿の市営砂蒸し温泉や大きなホテルが立ち並ぶ温泉街を抜けて、坂道を上がってくると、向こうには海が見えて、海辺の空気を感じられる。
よく整備された道路には南国をイメージする木が植えられ、真っ青なツアーバスがさらに南国のイメージを盛り上げてくれた。

2025年6月 6日 (金)

菖蒲谷(吉野)

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菖蒲谷には福祉施設が多く、バス停目の前の菖蒲学園もそのひとつ。
かつては、畑の中にあった施設も今や住宅地の真っただ中。
菖蒲谷バス停の利用者は多く、ラッシュ時はバス停に10人以上並ぶこともある。

2025年6月 5日 (木)

指宿駅前

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かつて、温泉街などの観光地で見かけた「ゲート」
各地で撤去されたり、忘れ去られたようなような状態で錆びついていたりする中、
指宿温泉のゲートは今も美しく保たれていて、存在感を感じる。
路線バスはここをくぐって、指宿駅と温泉街を結ぶ。

2025年6月 4日 (水)

阿久根駅前

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かつて、駅前の国道にアーケードがあった頃の記録。
アーケードは駅前の商店街に架けられていて、バス停もそこにあった。
昔の時刻表を見ると、川内~阿久根~出水~水俣と直通のバスが走り、急行運転もされていたのがわかる。
快速バスの川内~八代間さつま号というのもあって、九州産交と相互乗り入れしていた。
そうしてにぎわっていた時代は昔話になってしまったが、街を歩けば、当時の名残を見つけられるかもしれない。

2025年6月 3日 (火)

種子島宇宙センターに珍しく

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種子島、西之表港に大型客船がやってきた。
あいにくの雨模様であったが、オプショナルツアーは島内各地へ走り出した。
ツアーに動員されたバスは、島内のバスでは不足したらしく、県本土からの応援のバスの姿も。
宇宙センターにはバスが次々に訪れ、沿道で作業していた方も、「今日は船が入ってるの?大きいバスがいっぱい来てるのすごいね」と笑顔だった。

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