2026年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

« 2026年2月 | トップページ | 2026年4月 »

2026年3月の21件の記事

2026年3月31日 (火)

おしゃかさまコーナーの公開終了

18_20260331234201

初めてバスの廃車体を意識して写真に収めたのは1992年。
坊津をドライブ中に視界に入った林田バスの廃車だった。
小学生の頃に確か乗ったことのある、私にとっては現役時代を知っている最も古いバスで、貴重なネガフィルムで5枚ほど撮った。
それから、各地でバスの廃車体を見つけては写真を撮り、ホームページで公開してきた。
主に懐かしさから始めた行動だったが、油断して、次の機会に撮ればいいと思っていると、撤去されて二度と見ることができない経験を経て、とにかく証拠写真程度でも残しておこうと、チャンスを逃がさないようにした。
HPを見た方から、懐かしいという声をいただくことが多かったが、持ち主だったという方と交流できたのがとくにうれしかった。
意外と持ち主でも撮って残していないものらしい。

そうして、多くの廃車体を撮ってきたが、実はまだめぐり合えない、記憶の中の廃車体がある。
小学生の頃、千年団地から伊敷団地に抜ける坂のてっぺんにあった公民館。
どこかに写真が残っていないものか、ずっと探し続けてきたが、見つからず、いよいよ記憶違いではなかったかと自信を失いかけていたところ、「伊敷団地町内会連合会五十周年記念誌」の中に書かれているのを図書館で見つけた。(以下引用)

01_20260331235201

02_20260331235201

ようやく、自分の記憶以外の記録に見つけることができた。
まだ、写真は見つからないが、いつかどこかでもう一度見てみたいものだ。

そんな期待もあって、情報収集の狙いもあって続けてきたバスフォーラム鹿児島のおしゃかコーナー。
実は、ここ数年更新ができずにいた。
それは、おしゃかとして公表したとたん、撤去されていなくなってしまうことが相次いだからだった。
図らずも、廃車体の存在を知らしめた結果、鉄くずとしてバイヤーが動くきっかけになってしまった。

自動車リサイクル法の施行から、廃車体の供給も途絶え、街で見かける機会もすっかりなくなった。
アーカイブとしてそのまま残す方法も考えたが、このまま放置状態で続けることにも抵抗感があり、いさぎよく公開を終了することにした。
数多くの写真を、いつか何らかの形で活用できたらと思いつつ、今日はこれまでの長い間続けてこれたことの感謝を述べたいと思う。

長い間ありがとうございました。

2026年3月30日 (月)

栄上

200_0369a_05

3月末で廃止になるあいばす伊敷東部の栄上バス停。
急な坂道をよじ登ってきたバスは、民家のある最上部までやってくると、小さな交差点でバックして来た道を戻って行く。
最後の春、開花したばかりの桜の下にバスがやってきた。
再び定期バスがこの地に来ることはないのだろう。

2026年3月27日 (金)

川上

200_1685_13

丸岡経由の便が県道に合流する川上バス停。
かつては、県道も丸岡への市道も大型車の離合が困難な狭さで、急な坂道がトの字で分岐していたのが印象に残っている。
どちらの道路も整備が進み、センターラインが引かれる程度に広がったが、急な坂道は今もそのまま。
丸岡経由のバスは、この3月末で廃止。
丸岡の中学生はバス通学禁止で、このバスに乗ることはないそうだけど、ダイヤを見ると、小学生は通学に使えそうな時間に走っている。
果たして、影響があるのかどうか、そのあたりの事情は、「交通ビジョン」からは読み取れなかった。

2026年3月26日 (木)

吉水

200_2292_04_20260326235201

かつては、県道を直進する路線もあった吉水交差点。このバスは、交差点を左折して大原に向かう。
県道鹿児島蒲生線を行くバスは、教育センター前経由に一本化されることになり、最後まで残されていた日曜祝日のみ片道1本の吉水経由のバスが次の日曜で最終便の運行となる。

2026年3月25日 (水)

花岡屋敷

200_2203_04

昭和37年、市営バス永吉線が原良線のかけごしから分岐し、永吉町まで延長開業した。
市営バスの路線は、沿線や終点に必ず市営住宅があって、市街地と市営住宅を結ぶのが路線展開の基本と感じているが、この永吉線にはそれがなく、団地線でもない「異色の新路線」という感じ。
路線開設当初から道路が狭く、原良小西門前から誘導員が乗り込み、終点では転回誘導もしていた。
永吉町は水田を宅地化した結果、たいへん狭隘な袋小路の道路が無数に存在し、バスが走る山手の市道がそれでも一番広かった。
平成5年から本格化した土地区画整理事業で街の風景は大きく変化した。鹿児島刑務所跡地は鹿児島アリーナになった。
後に南国交通に路線移譲されて、この3月末でついに路線廃止となる。
区画整理で整備された平行道路にバスが走るようになり、代替ができるからとは思うが、独特の走行ルートは、旧来のルートをたどる形態で、乗っていて楽しかった。

2026年3月24日 (火)

下花棚公園下

200_0370a_02_20260325002101

吉田地区あいばすは、運行見直しが発表されていて、バスの運行は9月まで。

桜と一緒に撮れるチャンスは、今春が最後となりそう。

各地のローカルバスは、4月と10月が来るたびに減っていく。

2026年3月23日 (月)

花野口

200_1401_02

毎年今の時期になると、路線バスの背景に桜を入れたくなる。
いくつか候補の場所がある中、花野口交差点もその1つ。
今年の桜は、今週末からが見ごろになりそう。
どこに行くのがいいか、思案中。

2026年3月19日 (木)

滝之神

200_1788_05

鹿児島市内にトンネルがどのくらいの数あるのか調べたことはないが、バスが通るトンネルは結構な数、各地にありそうな気がする。
写真の滝之神隧道は、県道鹿児島吉田線にあって、鹿児島市街地から吉野台地へ一気に標高をあげる部分のループ線を形作っている。

ここのループは地形を巧みに活用していて、構造物は最小限。おもしろいことに、歩道は連続していなくて、旧道や歩道橋を活用して車道とルートが微妙に異なる。

九州道の薩摩吉田インターから、鹿児島市街地を結ぶ主要なルートになることから、道路拡幅改良を行った結果、生まれたトンネルで、吉野地域では、早期整備のために、通常地域ごとに独立している町内会の連合体を作っていると聞いたことがある。吉野がひとつになって、この道路の建設を後押ししてから50年以上。毎日無数のバスがこのトンネルを抜けている。

2026年3月18日 (水)

古河良(白浜隧道)

200_0124a_23

桜島唯一のトンネルをバスが走っていることを知って、ぜひ撮りたいと思っていた。
便数が極端に少ないわけではないものの、乗ったら撮れないし、ここで撮ったら古河良港の様子を撮ることがかなわない。
そんな事情で、ずっと後回しになっていた。
ただ、そんなに悠長なことを言ってられない状況になってきた。鹿児島市の路線バスの見直しで、この区間のバスは乗り合いタクシー化されそうだ。

2026年3月17日 (火)

日枝ヶ迫

200_2203_08

昭和26年に鹿児島市内に大きな被害をもたらしたルース台風で家を失った人々のために、それまで田畑が広がっていた日枝ヶ迫に市営の災害公営住宅が建設され、後に払い下げられたことにより誕生した原良町内の住宅地。
被災後まもなく147戸が建設され、昭和28年までの2年間で順次完成したようだが、バスは住宅地の中までは入ってこなかった。
かけごしまでは昭和23年に開通していた市営バスが、原良(現在の原良西)まで延長されたのが昭和30年なので、この災害公営住宅のためにできるだけ近くに終点をもってきたということなのだろう。
日枝ヶ迫までバスが乗り入れるのは、市営バスが明和循環線として運行を開始する平成13年を待たねばならなかった。
その後、明和地区の路線移譲とともに南国交通の運行になり、やがてバスはマイクロから中型に変わった。
3月末、日枝ヶ迫までどころか、原良への乗り入れも廃止になり、4月から乗り合いタクシーの運行に変わる。
立ち並ぶ住宅からは、かつて市営住宅が並んでいたであろう面影は感じられない。ただ、どうしてこんな谷の奥に住宅があるのかを知ると、見え方が変わってくる。

2026年3月16日 (月)

玉里福祉館前

200_2413_07

高校のグラウンドと、公務員住宅の間を直線の道路が貫く。
元は、市営バスが走っていたこともあったこの道を、回送のバスが走ってくる。
かつて、左側の歩道にバス停が立っていて、バスは反時計回りの一方通行。写真のバスの向きに走ることはなかった。
私がまだ小学生だった頃。親の車に乗ってここを通過することが多かったが、車を止めてゆっくりバス停を見ることはかなわなかった。

2026年3月13日 (金)

高免小学校前

200_1564_06

桜島一周の道路から離れて、高免集落まで往復するヒゲのような枝線がある。
バスは、高免バス停から坂を下り、集落により近い高免小学校前まで入ってきて、方向転換後、来た道を戻って行く。
小学校の上には小さな神社があり、鳥居の間から海を見ることができる。
現在、毎日ここにバスがやって来るが、やがて廃止になるようで、乗るのも撮るのも今のうちである。

2026年3月12日 (木)

手之平橋(下田)

200_0155a_01_20260312234001

下田から坂道を駆け上がるあいばす。
フェンスで守られた水路は、関吉の疎水溝からつながる農業水路で、江戸初期に建設。その後1722年、島津吉貴が仙巌園へ水を供給するために磯地区まで延長したもので、関吉の疎水溝世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産となっている。
ただものでない水路なのだが、大明丘団地の造成の際に埋め立てられたらしく、途中の区間がわからなくなっている。
地図上でたどってみようにも、やはり難しく、このあたりなんだろうけど、わからないという結果になってしまう。
水路を横目に急な坂道を上下していたあいばすだが、この区間は今月いっぱいでの廃止が発表されてしまった。

2026年3月11日 (水)

女川駅

Dsc_8848

学生時代に各地を普通列車で旅した。
ローカル線はJR私鉄問わず乗り回ったものの、石巻にも、その先の女川にも行けずじまいだった。
なので、震災前の女川を私は知らない。
2014年、震災から3年経って女川に行く機会を得た。津波で何もかも破壊され、横倒しになってしまったビルの姿を見た。
石巻滞在中に、ぎりぎり復旧し、運行再開しそうなこともわかっていた。
石巻線は、終点一つ手前の浦宿までは早く復旧したが、女川までの1駅間だけ代行バスに乗車した。車窓を見ていても、元はどこが駅だったのか、まったく分からなかった。おそらく新線を引くのと同じ状況にまでなりながら、列車は戻ってきた。駅舎もホームも駅前広場も、駅前商店街さえもすべてが新築。アスファルト舗装も黒々としていて、なにもかも新しかった。
駅には、複数のバス。活気があるとはこういうことを言うのだろう。
撮影は、開通から3年後。この時、駅前を少し歩いた。今はどうなっているだろう。

2026年3月10日 (火)

門脇小学校前

200_2010_04

2014年4月から1年間、私は震災被災地の石巻市に派遣され、市営住宅を作る仕事をした。
仕事は忙しかったが、オフの時間には車を走らせて、各地に足を延ばした。
もちろん、バスにも乗った。石巻市街地を走るバスは、すべて乗った。
その中で、石巻駅前から海側を循環するバス路線が印象に残っている。
バスが走る道路の周りには広大な空き地。一見、埋め立てたばかりの造成地にも見えるが、よく見ると、それは細かく区画されていて、建物の基礎と思われるコンクリートや、土間に張られたタイルなどを見つけることができた。
ここは、大きな津波に襲われて、被害が出た場所。もとは、住宅地だったという。
私が石巻に行ったのは、地震から3年後。解体がほとんど終わり、ガレキも無くなっていた。

震災から15年。私が鹿児島に帰ってきてから、このあたりに国の復興祈念公園ができたはずである。
また、訪れたいと思いながら、最近はなかなか行けずにいる。

2026年3月 9日 (月)

がんがら橋

200_2182_10

がんがら橋、記憶に残る名前で、ここを通る度、その由緒を知りたいと思っていた。
詳しくは、様々な方の記述にゆだねるとして、ここを走る路線、市営バスから路線移譲を受けて、現在は鹿児島交通が運行している。
市街地バスとして、もっとも「らしい」区間を、市営バスが運行しなくなったことには、今でも違和感を感じてしまう。
郊外の団地育ちの私には、同じ鹿児島市内でも、まったく別の街に見えてしまうこの景色。数ある鹿児島市内のバス路線の中でも、この街並みの景色の中を走るのは、ここだけと思っている。

2026年3月 6日 (金)

JA営農センター前

200_0155a_01

桜島に向かって走る夕方の吉野地域あいばす。
身近なコミュニティバスとして、時々利用してきたが、乗るたびに乗客はわずか。停留所で待っていても、客がいると乗務員が驚くという、ローカルバスそのものであった。
4月からのあいばすの見直しが公表され、写真のこの場所には、バスが来なくなることが分かった。
市内各地をきめ細かくネットワークしていたあいばすも、いよいよ大ナタが振るわれる日が近い。

2026年3月 5日 (木)

健康の森

200_0753_20260305234401

平成4年の開園と同時に運行を開始した鹿児島交通の健康の森公園線。
それまで、国道3号を走る鹿児島交通は犬迫方面の系統がわずかに走るばかりで、個人の印象としては、JR九州バスよりも存在感が薄く感じていた。
そこに、健康の森公園線が毎時1本の運行で一気に見かける機会が増えたのを記憶している。
一方で、西鹿児島駅前、大門口経由という、天文館を通らない(おそらく、天文館の乗り入れが総量規制で厳しかった?)謎の経路設定で、乗り間違う乗客への対応を見てきた。そんな状態でも新路線を走らせる陣取り合戦的な意味が、バス会社としてあったのだろうと思う。
減便されながらも運行を継続してきたこの路線も、次の見直しではどうやら週末のみの運行に変わるようだ。
国道3号を走る鹿児島交通の姿は、次第に「珍しい」存在に戻っていきそうだ。

2026年3月 4日 (水)

(石峯)公民館前

200_0232_08

鹿児島空港がすぐそこで、空港前の幹線道路と並行している旧道を路線バスが今も走っている。
たぶん、空港が溝辺に移転した昭和47年より前から走っている区間で、歴史は長そうだが、横川方面のローカル路線が次々に廃止された結果、もはや通学時間帯に1往復のみという、限界状態になって残っている。
旧道と言っても、道幅が狭いことを除けば直線で交通量も多く、今でも抜け道として走る車が多い。
バスも、この日は中型が運用されていた。

2026年3月 3日 (火)

塩屋ヶ元

Dsc_3971

鹿児島市営バス70番線の終点は黒神口。その一つ手前が塩屋ヶ元。
この、塩屋ヶ元までで多くが折り返してしまう。
この先は溶岩地帯に道を切り開いた地域で人家がない。一般的には、ここで終点になってもおかしくないが、黒神口までの乗り入れが残っているのは、桜島一周のバス路線を維持するためだったのかもしれない。

2026年3月 2日 (月)

迂回路を行くあいばす(上之原)

200_0155a_06

工事のため、3月初めまで迂回中のあいばす。
迂回路は、ちょうど桜島に向かって走る区間があって、バスが坂道を上下する時に大きな桜島の姿と組み合わせると「映える」と思われた。
そこに登場した代車の「銀バス」これは、なんという幸運。
そう思った瞬間、交差点に登場したクルマによって、バスと桜島が遮られた。
次のチャンスがあるかどうか、わからないけど、普段なら撮らない写真が手元に残って、これもありかな?と思えた。

« 2026年2月 | トップページ | 2026年4月 »

無料ブログはココログ

ホームページ