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2026年4月の19件の記事

2026年4月30日 (木)

宇宿小前

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始発の脇田電停前を発車して、踏切を渡ってやってくる桜ヶ丘団地行きのバス。
道路はいつも混んでいて、始発の次の停留所だが、バスがやってくる時間はなかなか読めない。
バスの時刻は、それらを見越してあるらしく、スムーズに走れたら、宇宿小前のバス停で時間調整することもある。

2026年4月28日 (火)

唐湊郵便局前

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JRの車両基地の地下を抜けて、唐湊福祉館へ向けて朝のバスが回送されてきた。
ながいこと活用されていなかった空き地に、大型マンションが立ち並び、このあたりの景色はすっかり変わった。
バスの乗客も増えそうな気がするが、運行本数が増える気配はなく、逆にいつまで路線が残るか心配している。
鹿児島中央駅まで歩けない距離ではないし、線路を横断すれば、市電が走っている。
時刻表を見なければ長く待たされる路線バスは、やはり使い勝手が良くないのだろう。

2026年4月27日 (月)

三文字(菖蒲谷)

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吉野地域の中でも標高が高い菖蒲谷。このあたりは200mを超えている。
元々園芸農家が多く、鶏舎もあちこちに見られた。
そうした場所に企業の社宅が作られ、人口が徐々に増加、小中学校が新設されてからは戸建て住宅が加速的に増えていき、昔ながらの畑の中の道が、そのまま幹線道路になった。
離合に気をつかうほどの狭い道を、バスはいつも多くの乗客を乗せて走る。

2026年4月24日 (金)

古河良

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東白浜から桜島唯一のトンネルを抜けてバスがやって来るのが古河良港。
桜島では珍しく避難港になっていない漁港で、船溜まりの近くで釣りをする人も見かける。
市営バス路線で、漁港に乗り入れるのはたぶんここだけ。
ただ、バス路線の見直しが発表され、ここに乗り入れる残り期間は限られている。
貴重なバスの運行シーンが撮影できるチャンスは、あとどのくらいあるだろう。

2026年4月23日 (木)

坂之上駅(国際大学スクールバス)

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JR指宿枕崎線坂之上駅と、丘の上の鹿児島国際大学を結ぶスクールバス。
通学時間帯にバス3台でピストン運行される。
坂之上駅は、線路脇の狭い土地を使って作られた片面ホームの棒線駅。駅前広場はなく、バスは少し離れた転回場を発着する。したがって、大型バスが走ることはめったにない。住宅地の中を、バスが行ったり来たり。独特のバスのある風景が見られる。

2026年4月22日 (水)

井立田入口

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エアポートシャトル大口・水俣線が走る山野から県境へ向かう旧道。
早咲きの桜が道路の上まで枝を延ばしていた。
このあたりまでで平野は終わり、道路は新道に合流して県境の山越えにかかる。

2026年4月21日 (火)

八洲団地入口

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八洲(やしま)団地、向陽台団地は、隣接する桜ヶ丘団地とはつながっておらず、バスは、同じ道を出入りする。
団地造成から長いことバスの乗り入れがなく、住民はバス利用を想定しないでここに住み始めたのだろうと思う。
一方で、団地の入口を長く走ってきた市営バス17番線は利用者が少なく、採算面で厳しい状況だった。
団地にバスが乗り入れようになった今も、もともとバス利用を考えていなかった住民には、バスが選択肢に入らないのか、利用者は多くないようだ。それでも、団地を循環して始発の脇田電停に戻り、終点の広木農協前まで運行しない便が設定され、おかげで便数が確保された。
もっと利用者が伸びてもいいのにと思うけれど、定期利用にはなかなか結び付かないようだ。

2026年4月20日 (月)

辻ヶ丘団地公園前

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市営住宅が立ち並ぶ団地の中を抜けていく南国交通の路線バス。
旧市営バス路線で、坂元線と実方線の間にあって、かつてはお買い物バスとしてわずかな便数が運行されてきた。
それが、実方線側のバスが団地を迂回する形で乗り入れるようになり、大幅に増便され、その状態で南国交通に路線移譲された。
実際、利用者は少なくない。
団地住民の高齢化も影響しているのだろう。せばる団地、辻ヶ丘団地は、とにかくどこへ行くにも坂道である。

2026年4月16日 (木)

宮之浦支所前

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屋久島といえば山。
縄文杉を目指す登山客が多く、バスはその輸送の任に当たるため、存在感が大きい。
毎年のように5月の大型連休には屋久島入りし、ピーク時は2社のバスが次々に荒川登山口を目指す様子を見てきた。
そして、決まってこの時期に入港してくるクルーズ船のツアーバスも楽しみにしてきた。

さて、今年。
どう調べても、連休中のクルーズ船入港が見当たらない。
いつ島に渡るべきか、迷う。

2026年4月15日 (水)

肥後大津駅(豊肥本線代行バス)

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2020年8月。
熊本地震の影響で不通が続いていた豊肥本線の復旧が決まり、早朝の代行バスに乗車するのは、試運転、訓練運転に関わるJR職員さんたちだろうか。
鉄道代行のバスで、運行本数も限られていて、乗客数はそれなりにたくさんいるのだろうと思っていたけれど、この便の一般の乗客は私一人。
あまり注目される機会のない代行バスだったように思われたが、毎日きちんと走っていた。

2026年4月14日 (火)

テクノ団地西

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震度7が2回。
熊本地震から10年。
鹿児島でも震度5だったあの地震。
夜に幾度となく鳴り響いた緊急地震速報のアラームがトラウマになった。
鹿児島では目立った被害はなかったが、熊本は時間が経過しても、なかなか建物にかけられたブルーシートが減らなかった。
家を失った被災者のために仮設住宅が各地に建設され、その中でも最大規模の益城町「テクノ団地」は、町の中心部から離れていたこともあって、バス路線が新設された。
本職の方でも、被災地熊本には何度となく通った。記録に残そうと、機会あるごとに撮影したつもりだったけど、バスの写真は意外なほど少ない。
ただ、地震後まもなく向かった熊本で、いつも通りに走ってきた路線バスの姿に「日常」をみて、心が落ち着いたのが印象に残っている。

2026年4月13日 (月)

立長入口(与論)

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与論島を一周する路線バス。
初めて与論島を訪れた2002年の夏、出迎えてくれたのは中型バスだった。
真夏の炎天下、南の島。じっとしているだけで汗ばむような気温でも、バスは窓を開けて走り、クーラーを入れる素振りも見せなかった。
「お客さんがいないのに、クーラーなんてもったいない。走れば風が入ってくるでしょう、十分涼しいから。」
笑いながらそう言った乗務員氏は、バスで島を一周した私が、逆回りにもう1周乗ると言うと、
「バス代がもったいない。バスと反対周りに歩いて行ったら、途中で拾ってあげるよ」
と言いつつ、さらに、(車庫にいるバスを見ながら)これでバスは全部ですか?と尋ねる私に、
「1台工場に修理に入ってて、歩いて行ったら途中にいると思うから、写真撮るなら、行ってみたらいいよ。それに廃車のバスも置いてあるし。」
そうして、車庫のバス、工場のバス、廃車のバスを全部撮ることができ、島を逆回りに走って向かい側からやってきたバスがこの写真。
実は、工場に入っていたマイクロバスが通常使用の路線バスで、中型バスが珍しく代車で走ったその日を引き当てたことを知ったのは、後になってからだった。

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2026年4月10日 (金)

宮之浦団地中央

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鹿児島市の中でもかなりの高台にある宮之浦団地。
その団地内でも最高地点と思われる丘を越えるバス。
団地は山の尾根を切り開いて造成されたと思われ、団地内はほとんどが坂道。
バスの利用者は多い。

2026年4月 9日 (木)

花野小前

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千年橋から花野団地入口(花野小前)まで、団地線のバスが、団地造成前からの花野の道を走る。
道路と並行して流れる花野川は、ちょうどこのあたりに滝があり、道路はかなりの急こう配。
この先にあったバス停はその名も「滝ノ上」だった。

2026年4月 8日 (水)

清浦

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バス路線が減り続け、集落からバスが消えていく。
ただ、峠越えで地方を結ぶバスは意外と健闘していて、存在感がある。
それらのバスが走ってくれるおかげで、行動範囲が大きく広がる。
ありがたい存在である。

2026年4月 7日 (火)

鹿児島中央駅西口

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早朝の中央駅西口。
ツアーバスが少しずつ集まってくる。
各地に向かう貸切バスが、お客様と出会う場所。
中央駅西口の貸切バス乗り場。

2026年4月 6日 (月)

知覧平和公園の桜トンネル

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今年も桜が咲いた。
満開の桜並木の中を、バスがそろりそろりと抜けていく。
この写真が撮りたくて、先週と今週と2回。知覧を訪れた。
桜の花はすぐに散ってしまう。
今季の桜はこれでおそらく撮り納め。春を感じた1週間だった。

2026年4月 2日 (木)

永吉線のはじまりの頃

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私が初めて市営バスの21番線に乗ったのは1998年のこと。
いつでも乗れると思っていたら、そのまま大人になってしまい、
区画整理で公民館が建って、いよいよこのあたりの風景が変わり
始めるかもと思ったのがきっかけだったような気がする。

21番線の中で、謎に思っていたことがあって、それは「原良小西門前」バス停の位置。

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ちっとも「前」じゃない場所にあるこのバス停がどうしてこの名前なのか、
ずっと経緯を知りたいと思っていたところ、先日のブログのコメントで、
実は路線開設当初、バスの経路が違っていて、西門前バス停は、本当に
門の前にあったと教えていただいた。

花岡通バス停から原良小西門前を通って真っ直ぐ抜けるのが永吉町への
素直な近道だし、なるほどそっちのほうが自然なルート設定だろう。
それが、わずか1年ほどで経路変更になったのは、おそらくそうせざる
を得ない理由があったに違いない。
もはや、想像でしかないけれど、原良小学校一帯はもともと低湿地で
地盤が弱く、大型バスが走ると、沿線の建物はそのたび大きく揺れた
のではないだろうか。
道路幅は変更後の山手線と大して変わらなかった気がする。

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区画整理前の原良小西門前。このあたりの風景は、変わってしまう前に
歩いて写真に残しておいた。ここをバスが走っていた時期があったのか。

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かつて走っていた原良山手線。
てっきりこの通りをバスは走っていたものとばかり思っていたが、
もっと歴史を深掘りしてみたくなった。

2026年4月 1日 (水)

駒田

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鹿児島と加世田を伊作峠経由で結ぶ鹿児島交通の準急バスが走る駒田。
かつて、同区間に特急バスが運行されていた時から、駒田には停車していたように記憶している。
峠を越えて、伊作に至るまでにいくつかの集落があるうちの1つ。
バス停のすぐ近くには商店があって、人里の安心感を感じたものだった。

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