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2026年6月の22件の記事

2026年6月30日 (火)

ヤクスギランド

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山の細道の先にあるヤクスギランドは、海沿いの県道からひたすら山道を登り続けてようやくたどり着く。
路線バスでも行くことができ、こんな山奥にどうして?と思うほど、大型貸切バスが何台もここに待機していたりする。
この夏も、どこか島に行こうと思っているが、まとまった時間がとりにくくて、今になっても決めきれない。
屋久島にしばらく行ってないし、かといって奄美大島にも行きたいし、甑島もそろそろ行っておきたい。
目下、どこにいくか迷い中。

2026年6月29日 (月)

帖佐駅前の電照式バス停

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1993年撮影の帖佐駅前バス停。
当時はJR九州バス加治木線が運行中だった。

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2016年撮影の帖佐駅前バス停。
JR九州バスが廃止されて、南国交通が代替運行している。
電照式のバス停が同じ場所にあって、引き継がれているように見える。

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2026年撮影の帖佐駅前バス停。
今も、電照式バス停は現役。JR九州バス時代から引き続き使われているとすると、30年以上ここに立っていることになる。
一方、路面のペイントはすっかり見えなくなった。毎日バスのタイヤが少しずつ削っていくのだろう。

電照式バス停は、果たして引き継がれたのだろうか?
同じもののような、違うような。

2026年6月26日 (金)

坂元郵便局前

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拡幅前の坂元郵便局前バス停。
バス停部分だけバスベイが設けられていて、市街地向けのバス停は、交差点の中にあった。
離合するのに緊張するほどの幅員だった道路はずいぶん広くなって、カーブも緩和された。
今は、ここに歩道橋があったことすら忘れられている気がするほど景色が変わった。

2026年6月25日 (木)

田上寺ノ下

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田上の旧道を行く路線バス。新川沿いの県道方面へ進むのが南国交通で、JRの寺ノ下踏切を越えるのが鹿児島交通。
田上は住宅地で、この辺りからクルマが入れないような細い路地を入ると、所狭しと家が密集している。
バスの利用者は昔から多く、かつてはこの道を市営バスも走っていたし、田上寺ノ下で折り返すバスもいた。

2026年6月24日 (水)

玉江小前

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夕方のラッシュ時の国道3号。
この国道の中央を、かつて鹿児島市電伊敷線が走っていた。
軌道敷を除いた車道部分の幅は、上下それぞれ1.5車線。
大型車がいると、追い抜くには軌道敷に乗り入れる必要があった。
市電廃止後、市街地向け3車線。郊外向け2車線の変則的な車線が引かれた。
市街地向けは朝の指定時間にバス専用レーンが設けられた。
それは、現在も変わっていない。走る車が増えたのか、渋滞が解消していない気はするが。

2026年6月23日 (火)

帯迫

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吉野を貫く幹線道路、県道16号鹿児島吉田線。
バスの便も多く、カメラを構えたら、そう待たずにバスが登場した。
交差点の部分的な拡幅は行われたが、ここは吉田インターに直接つながることもあり、交通量が多い。
区画整理の区域内で、4車線化が待たれる。
この辺りの景色を残しておくなら、今のうちかもしれない。

2026年6月22日 (月)

山之口(大根占)

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毎年夏至の近く、6月初めに南大隅を訪れることにしている。
根占から、通学生のために鹿屋を目指すバスは、朝6時から次々に発車する。
この時期でなければ、暗くて撮影できない。
普段なら、根占の街の中で順光線で撮ろうと構えるが、今年は天気に恵まれず、どんよりとした曇り空。
太陽の向きを気にする必要が無くなり、海の向こうに開聞岳を望む国道沿いで、バスを待ってみた。

2026年6月19日 (金)

いつの間にか本物のレトロバス

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1994年のカゴシマシティビュー路線開業時にデビューした2台のうちの1台。
初代シティビューが現在も活躍中。
気付いたら、すでにデビューから32年。路面電車風のレトロ調バスとして導入されたはずが、今や本物のレトロバスになっている。
特殊な車両だけに、維持には相当な苦労がありそうだが、廃車の話は聞かない。
このままぜひ、リアルなレトロバスとして注目されるその日まで、頑張ってほしいものである。

2026年6月18日 (木)

谷上口

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あいばす吉田地域のバスが走る。
ここは県道の旧道で、かつてJR九州バス都迫線が走っていた。
現在は南国交通が運行しているが、運行事業者が変わり、ワゴンタクシーに変わることが公表されている。
こうした抜け道のようなルートをバスが走る姿は、そろそろ各地で見納めの時期が近いようだ。

2026年6月17日 (水)

隈姫神社前

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高速道路のすぐ横を走るコミュニティバス。
小型バスでも道幅いっぱいという狭隘区間で、田園風景を連想していたが、新しい住宅が次々に建てられていて、風景がまさに変わろうとしていた。

2026年6月16日 (火)

本町(鹿屋)

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鹿屋市の中心市街地。
かつて市役所があり、デパートがあった。通り沿いにアーケードが連続し、バスセンターと商店街を結んだ。
しかし、ほかの地方都市同様、郊外型の大型店舗が立地し、交通の主役もバスからマイカーに移った。
人通りのないアーケードは時代の流れを感じさせる。

2026年6月15日 (月)

薩摩塚田

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JR九州バスの一般路線で、現在も残る北薩線。
各地でJRバス路線の縮小が続く中、枝線の川田経由が今も残る。
その分岐点が薩摩塚田。
国道から折れて、県道を走る。
現在でもバスが残るだけあって、乗客はそれなりにある。
夕方の便、薩摩塚田バス停では、通勤客と思われる人々が何人も下車した。

2026年6月12日 (金)

開かずの扉

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高速道路に開けられた出入口。
関係者以外立ち入り禁止の看板がかかっていて、中は草むら。

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高速道路側からこの場所を見ると、「管理用施設」となっている。

実はこの場所、かつて「高速本城」というバス停だった。
南国交通の西鹿児島~姶良ニュータウン線が停車していて、私は1回だけ乗車したことがある。
平成初めごろまで路線があり、利用者もあったようだが、廃止後、私が知る限り、このバス停が使用されたことはない。

その時も、その後も、ここを通過するバスは無数にいる。
そのうちの1便でも停車すれば、バス停が復活するのに、その気配はない。

2026年6月11日 (木)

大明ヶ丘西

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大明ヶ丘団地のバスの終点は、ながらく大明ヶ丘西だった。
ちょうど、終点の車庫があった場所に橋が架かり、向こう側に造成された旭ヶ丘ニュータウンにバスが乗り入れるようになった。
渡る橋の下を流れるのは稲荷川。
そして、この川を境に、大明丘から東坂元に住所が変わる。

2026年6月10日 (水)

アーケードの中を行くバス

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鹿屋の中心市街地にある仲町アーケード。
中央部までは屋根がかかっておらず、明かりが届いて開放感を感じる独特の形。
ここを走るバスがいる。
鹿屋バス停が片側にしかないためで、百引方面へ向かうバスは、発車後このアーケードを通り抜けて周回ルートをとる。
鹿児島県内では、バスの走るアーケードはほかになさそうで、ここだけの貴重な区間だろう。

2026年6月 9日 (火)

ドラレコの画像を切り抜く

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ドラレコが普及して、値段もこなれてきた。
そう思って、ネット通販で仕入れた5,000円ほどのドラレコを車に取り付けた。
もちろん、事故やトラブルの際の助けになるかもという本来の用途も購入の理由だが、以前なら、「目に焼き付ける」しかなかったバスが、記録に残る。
光線や他車との重なりなど、必ずきれいに撮れるわけではないけれど、やはり未撮影のバスが手元に画像として残るのはありがたい。
ドラレコ様様である。

2026年6月 8日 (月)

降灰の竪馬場

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灰が降ってほこりっぽい。
クルマが灰を巻き上げて、視界が遮られる。
大型が走り去ると、渦を巻いて灰が浮き上がる。
灰が降る時は、いろいろなものを守りに入るが、ふと、スマホのカメラで撮ったらどんなだろうという興味がわいてきて、ダメもとで撮ってみた。
夜景で、走行中のバスはもちろんぶれたが、写真にほこりっぽい感じは出ている気がする。

2026年6月 5日 (金)

頴娃図書館前

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南九州市の拠点間バス。
合併前の旧町の役場だった支所を結ぶ。
頴娃を出て、正面に大野岳を見ながらバスは進む。

2026年6月 4日 (木)

三文字(牛尾)

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週に3回、大口から牛尾金山に向けて循環運行のバスが走る。
県境の山は深くて、山麓の集落は人里のにぎやかさを感じる。
バスは時間通りにやってきて、走り去った。

2026年6月 3日 (水)

新型セレガ納車前

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まず、表に出ることのない納車前の写真。
撮影日はちょうど20年前の今日。2006年6月3日。
2台のバスは、南国交通のエアポートシャトルとしてこの後まもなくデビューした。
ナンバーで言えば鹿児島200か「580」と「581」
定期運行される「乗合」バスとしては、初めての新型セレガで、見慣れないデザインに違和感を感じつつ、カメラを向けたのを思い出す。
今やおなじみになったデザインだが、当時は撮影の角度によって不格好に写るのがどうにも難しく、撮影は試行錯誤の連続だった。

あれから20年もたったのか。セレガRもすべて車齢20年以上になったのか。
なんだか感慨深い。

2026年6月 2日 (火)

2004年9月、台風の思い出

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20年以上経った今でも思い出す、台風で缶詰めになった奄美旅。
9月2日木曜日夕方、北ふ頭から船に乗り、3日金曜日は朝から喜界島。午後の飛行機で奄美大島へ移動し、名瀬泊。
4日土曜日は古仁屋へ足を延ばし、できたばかりの朝戸車庫にも訪問。目的はほぼ達成し、長浜の焼肉店で同行者と乾杯をした。
この時点で、台風が接近してきているのがわかっていたので、翌日は予定を早めて空港へ向かうことに。

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5日日曜日の空港行きの始発のバス。台風はまだ離れていたが、次第に近づいてくる予報だったので、リスク回避のために、便を繰り上げて帰ろうかと対策したつもりだった。
バスは出たし、始発の飛行機なら大丈夫と思ったのに、この日、飛行機は全便欠航。帰れなくなった。
台風の進路を見たら、奄美大島のずっと西側にいたはずだったのに、90度進路を変えて、こちらに近づいてきていた。

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同じバスで名瀬に戻り、仕方ないので、民宿に再びの宿泊を交渉。
同行者も行先がないので、2人で1室に泊まることに。
鹿児島に帰るはずだった5日は、そのままどこに行くこともできず、民宿で台風情報を確認するのみ。

翌6日月曜日。台風が動かない。出勤日だが、行けない。電話で休みを申し出たが、いつ鹿児島へ帰れるかわからない。
民宿の食事が貧相になっていく。台風だし、朝食を頼んだら、宿泊費が3,000円なのに、朝食代が1,500円だという。
それだけお金を出すのに、出てきたのはビーフカレー。ひょっとしたらレトルトカレーだったかもしれない。
台風が来ると、食材が入手困難になる事情は分かっていたつもりだったが、これは痛い出費だった。民宿に泊まっていたほかの人も、同じメニューで、文句を言っている人はなかった。

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翌7日火曜日。仕事を休んで3日目。なんとかして鹿児島に帰りたい。
やはり始発のバスに乗って、空港へ向かう。当時使っていた携帯電話予約で、一応予約は取れていたが、台風が北上して、今度は鹿児島側の天候不良で、いつ飛ぶかわからないという。

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奄美空港に着いたら、ビルの外まで長蛇の列。こんなの初めて。

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予約していた始発の便は欠航。ターミナルビルのベンチはすべて埋まり、階段の下のすき間に床に座って待った。
いつ、どうなるかわからないから、出かけるわけにはいかない。

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空席待ちは、いつ呼ばれるかわからないし、とにかく、ほかの人と同じようにターミナルで待った。
空席待ちしながらも、携帯電話予約サービスを見ると空席が出ていることがわかったので、それをおさえて、ようやく運行再開最初の14時20分の便に乗れることに。ただ、同行者はNGで、佐賀まで帰らなければならない彼は、なんと伊丹行きの臨時便を選択、ひと足早く去って行った。

なんとか鹿児島に帰った私は、台風養生を一切妻に任せ、台風の中3歳児と2人きりで怖い思いをさせたことを責められた。
今でも、ことあるごとに「あれはひどい判断ミスだった」と言われる。

奄美滞在中、台風が発生したら、とにかく一刻も早く情報を収集し、帰る手段を確保すること。
予定を1日早めてでも帰るのは、この経験から得た教訓。

2026年6月 1日 (月)

永吉団地

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玉江橋から急な坂道をよじ登るようにバスが走っていた永吉団地。
2020年4月の路線廃止から6年。
最近は、ここにバスが走っていたことを話題にすることも無くなってきた。
NHKの番組で、この団地を舞台にロケがあったようで、以前のブログ記事が再度読まれているようだ。
永吉団地線、バスの最終日: バス好きしゅうの、バスとともに過ごす日々

ブログを読み返したら、あの夜の出来事が懐かしく思い出されて、時の流れの早さを感じた。

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