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昔の資料

2026年7月 8日 (水)

鹿児島空港~人吉産交線のあった頃

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九州新幹線の開通と同時に、鹿児島~熊本線の高速バスが廃止され、鹿児島空港~人吉産交間のバスが運行されるようになった。
熊本側は九州産交バス、鹿児島側は鹿児島空港リムジンと南国交通が初めて人吉産交まで高速経由で乗り入れ、とくに空港リムジン初の県外路線ということで話題になった。
人吉は熊本県内とはいえ、空港は鹿児島の方が便利で特に人吉側からの需要が多かったようだが、後に鹿児島~熊本線が復活したことでこの路線は無くなったと記憶している。

2025年7月 3日 (木)

帖佐十文字

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白黒写真だと、相当昔に感じるかもしれないが、撮影は1993年。
しかし、あれから32年が経過した。十分昔なのかもしれない。

JR九州バス加治木線が走っていたのは、1997年3月まで。一度に全線が無くなったわけではなく、路線短縮が段階的に行われ、県内では、一番最初に廃止された営業所となった。
最後まで残った蒲生町~帖佐駅間は利用者も多く、厳しいながらも残る可能性を期待したものの、南国交通に後を託して消えていった。

2025年6月11日 (水)

昭和46年の鹿児島(鴨池)空港

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昭和46年、鹿児島空港が現在地の溝辺へ移転する前年の記録。
桜島をバックに航空機が発着していた記録としては、貴重なものだろう。

そして、ターミナルビル前での記念写真。
左に見切れているのは、天文館方面への連絡バスの看板と思われ、当時運行していたのは南国交通だろう。
願わくば、全景やバスの写真があればと思うが、撮影者にそういう意図はなく、それでも、当時の空気感が伝わってくるようだ。

2025年6月10日 (火)

昭和43年のえびの高原

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実家のモノクロ写真をデジタル化していたら出てきたバスの写真。
否、あくまで人物を写したものだが、撮影者は明らかに後方のバスを意識していたと思われ、しっかりバスの後部までフレームに入っている。
バスのボディに書かれているのは「南鉄バス」
おそらく、南薩鉄道のバスと思われるが、三州自動車が鹿児島交通へ会社名を変更し、南薩鉄道を合併したのは昭和39年のこと。
撮影年の記録が違うのか、それとも、バスの表記がその頃まで残っていたのか。
ネガのほかのコマからえびの高原での撮影と思われる。

2025年5月22日 (木)

「幕」でデビューした最後の新車

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現在のように、バスの行先表示がLED化される前、一般的には透過フィルムで作られた行先方向幕が使用されていた。
週末の例会の準備をするにあたって、新車デビュー時に最後に「幕」が採用された最後の大型路線バスを探したら、どうやらこのバスらしいことが気が付いた。

もはや、スクールバス専属になり、懐かしさを感じる記録になってしまったが、時代はデジタル化。撮影から、もう20年以上経っている。

2025年5月12日 (月)

伊敷ニュータウン中央

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幹線道路に出てきた市営バスは、51番線。
ここから、幹線道路を避けるように団地を縦走し、城山トンネルから市街地へ出ていく。
2001年6月、運行開始当初は、伊敷ニュータウン・玉里循環線という名で、天文館へは出ていかず、玉里団地、さつま団地、伊敷ニュータウンを循環していた。

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運行開始当初は、9便設定されていたダイヤは、天文館方面への乗り入れによって、大幅に減った。
一方で、利用者は明らかに増えた。
利用者のニーズは、バスが数多く走ることより、少なくても、行きたいところに走ってくれることということを、実感した出来事だった。

2025年2月12日 (水)

鹿児島空港リムジンと鹿児島空港

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林田産業交通が倒産して、実質鹿児島交通となった鹿児島空港リムジン。
撮影した2000年の前年には、真っ白いボディの新車が入った。
いよいよ、代替も見えてきて、この色が失われる前に、しっかり撮っておきたいと空港でカメラを構えた。
当時は、今と違って、ローアングルでも、ドア側でもなく、絵葉書のような写真を撮った。
ネガということもあって、枚数も非常に少ない。
もっとああしておけばと思うことは多いが、記録しておいてよかった。

2025年1月 9日 (木)

1963年の遠足バス

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母はとにかく写真に撮られることが多かったようで、プリントやネガで写真がまとめて残っている。
撮影の記録もしっかりしていて、これは1963年。場所はえびの高原らしい。
鹿児島市内の高校の遠足で、当時最新型の貸切バスでえびの高原へ行った時のもの。
はたして、このバスはどのあたりのナンバーをつけていたものか、シャーシはどこなのか、
判断に迷うが、1963年の新車が配車されていたとしたら、
バスフォーラム鹿児島/鹿2あ5973
このあたりのバスだったのではないかと推測している。

2025年1月 8日 (水)

永野金山

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かつて、宮之城から永野を経て横川に抜ける道は、林田産業交通がバスを通すために自ら整備したとされている。
今でもかなり距離を感じるこの区間だが、当時は相当の需要があったらしく、道路が通ると、霧島の自社のホテルに向けて、川内、串木野から直通のバスが走った。
昭和50年代になってマイカーが普及すると、それらのバスは系統が分割され、宮之城~霧島間のバスは、1往復だけという時期が続いた。
もうそれ以上減らしようがないと思っていたのに、なんと日曜祝日のみ1往復運行という究極の「路線維持ダイヤ」が出現。
驚いたことに、それまで中型で運行だったものが、週1回だけ大型でやってくるように変わった。
写真は、当時駐在があった永野金山車庫。中型は、この車庫に駐在していたバスで、日曜祝日ダイヤのため、車庫で休んでいるところ。
一方の大型バスの方は、霧島からやってきて、この車庫で転回、折り返しを待っているところ。

週に1回だけだし、本当にバスが走るのだろうかと半信半疑で現地に行ったら、こんな豪華なバスが来て、たいへん驚いたのを昨日のように覚えている。撮影は1996年である。

2025年1月 7日 (火)

宮之城(南国交通)

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宮之城の南国交通のバスターミナル。
かつてはビルの1階がバスセンターになっていたが、老朽化で解体され、跡地がガソリンスタンドになった。
そのガソリンスタンドの後ろに待合室が設けられ、バスが周回する形で乗り入れていた。
撮影した2001年当時、空港特急バスの発着は、宮之城ではここだけ。鉄道記念館とは離れていて、余所者にはバスの乗り場を探すのが一苦労だった。

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