母はとにかく写真に撮られることが多かったようで、プリントやネガで写真がまとめて残っている。
撮影の記録もしっかりしていて、これは1963年。場所はえびの高原らしい。
鹿児島市内の高校の遠足で、当時最新型の貸切バスでえびの高原へ行った時のもの。
はたして、このバスはどのあたりのナンバーをつけていたものか、シャーシはどこなのか、
判断に迷うが、1963年の新車が配車されていたとしたら、
バスフォーラム鹿児島/鹿2あ5973
このあたりのバスだったのではないかと推測している。
かつて、宮之城から永野を経て横川に抜ける道は、林田産業交通がバスを通すために自ら整備したとされている。
今でもかなり距離を感じるこの区間だが、当時は相当の需要があったらしく、道路が通ると、霧島の自社のホテルに向けて、川内、串木野から直通のバスが走った。
昭和50年代になってマイカーが普及すると、それらのバスは系統が分割され、宮之城~霧島間のバスは、1往復だけという時期が続いた。
もうそれ以上減らしようがないと思っていたのに、なんと日曜祝日のみ1往復運行という究極の「路線維持ダイヤ」が出現。
驚いたことに、それまで中型で運行だったものが、週1回だけ大型でやってくるように変わった。
写真は、当時駐在があった永野金山車庫。中型は、この車庫に駐在していたバスで、日曜祝日ダイヤのため、車庫で休んでいるところ。
一方の大型バスの方は、霧島からやってきて、この車庫で転回、折り返しを待っているところ。
週に1回だけだし、本当にバスが走るのだろうかと半信半疑で現地に行ったら、こんな豪華なバスが来て、たいへん驚いたのを昨日のように覚えている。撮影は1996年である。
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