1995年3月。学生生活の締めくくりに、卒業旅行と称して北へ向かった。
福井、石川方面の地方私鉄を一つでも多く乗りたいと、欲張って分刻みのスケジュールを立て、永平寺からはバスでショートカット。
そこにやってきたのが写真のバス。
貸切落としの豪華なバスに当たったと喜んだ次の瞬間、バスの乗車口が「後ろ」にあるのにびっくり。
トップドアじゃない貸切バスがあるのかと、何も知らなかった私はカルチャーショックを受けた。
鹿児島に帰ってから改めて写真を見返して、このバスがハイデッカーではなく、普通の路線バスの「顔だけ」貸切バスであることにようやく気付いた。その瞬間、私の中にしばらくしまい込んでいたバスへの興味関心が鉄道を超える勢いで湧いてきた。
バスを撮るようになったのは、このバスを撮って以降。そのきっかけを作ってくれたバスとの出会いだった。
和歌山県内で乗ったバスは非常に限られていて、1994年に各地を乗って回った1回きり。
当時は、有田鉄道がまだ走っていて、しかし、鉄道が走る時間はかなり限定されていて、片道は鉄道の代わりに運行されるバスを利用した。
バスは鉄道に比べると運賃が割高で、青春18きっぷのような乗り放題の切符もなく、さらに、現地に行かないとほぼ情報がなかった。
このバスは、鉄道の代わりということで、全国版の時刻表にも時刻が掲載されていて、あらかじめ調べることができた。
当時でも古参車だった写真のバスは、鹿児島ではまず乗車の機会がなかった貸切格下げ中型の路線バス。
めったにバスを撮らなかった当時でも、印象深くてカメラを向けずにいられなかったのを覚えている。
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