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鹿児島のバス

2026年3月 5日 (木)

健康の森

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平成4年の開園と同時に運行を開始した鹿児島交通の健康の森公園線。
それまで、国道3号を走る鹿児島交通は犬迫方面の系統がわずかに走るばかりで、個人の印象としては、JR九州バスよりも存在感が薄く感じていた。
そこに、健康の森公園線が毎時1本の運行で一気に見かける機会が増えたのを記憶している。
一方で、西鹿児島駅前、大門口経由という、天文館を通らない(おそらく、天文館の乗り入れが総量規制で厳しかった?)謎の経路設定で、乗り間違う乗客への対応を見てきた。そんな状態でも新路線を走らせる陣取り合戦的な意味が、バス会社としてあったのだろうと思う。
減便されながらも運行を継続してきたこの路線も、次の見直しではどうやら週末のみの運行に変わるようだ。
国道3号を走る鹿児島交通の姿は、次第に「珍しい」存在に戻っていきそうだ。

2025年8月25日 (月)

花火大会臨時バスの思い出

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錦江湾サマーナイト花火大会が今年も開催された。
かつて、中央駅前と会場とを結んでいた無数のシャトルバスは、乗務員不足から運行が困難となり、現在は運行されていない。
毎年、花火大会となると、このシャトルバスを追いかけて、各地でカメラを構えたものだったし、集まってくる貸切ツアーバスを臨時駐車場で待ち受けたのも遠い過去のよう。
もはや、花火大会とバスとの「特別」な関係は、夜の臨時バスが残るくらいで、自分のこの日にかける情熱もずいぶん冷めてしまった。

とはいえ、今年もカメラを持って、市街地を走るバスを撮ろうと歩いてはみた。
コインパーキングは早い時間から満車表示が目立ち、中央駅前の市電のりばは行列が長く延びていた。
市電の混雑を避けたと思われる中央駅発路線バスの乗客もそれなりにあったようだが、花火だからといって特別な案内があるわけではなく、どこで降りるのか迷いもあったようだ。

シャトルバスの需要は確実にあるのに、どうにか走らせることはできないものか。
答えの出ない自問自答を繰り返しつつ、早々にバスで帰宅した。花火は自宅でオンラインで見た。

2025年8月22日 (金)

指宿枕崎線代行バス(枕崎駅)

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2024年の台風被害で不通になった指宿枕崎線山川~枕崎間の鉄道代行バス。
この区間で代行バスが走ることはそうないと思い、枕崎までバスに乗りに出かけた。
昨日紹介したバスと、ほぼ同じ場所に停車する代行バス。
駅前広場が整備されてから、ここに大型バスが入ったのを見たことがなかったが、他に適当な場所がなかったのだろう。しかし、周辺の道路はここにバスを入れることを想定していないから、どうやって入れるのか、バスがここに入る前から注目していた。

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旧駅前広場側から徐行で入ってきたバスが、鹿児島交通の敷地に乗り入れて、十分な引き上げ距離が取れてバックで駅前へ。
代行バスに参加していないバス会社が、他社運行に協力して車庫の敷地を転回用に提供するのは、珍しくない。
こうした協力体制に触れると、中の人でもないのに、誇らしく思える。

2025年8月 8日 (金)

初代セレガ最終運行は「快速さつま号」リバイバル

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南国交通観光の「鹿児島22き・804」
8月10日のバスツアー「快速さつま号」を最後に、30年間に渡った現役を、ついに引退する。
初代セレガ(後期型)は、鹿児島で残り6台と思われるが、ほかの5台はいずれもスクールバス限定。最後まで貸切として活躍するのは1台のみとなった。

1995年式で、新車当時は、貸切バス規制緩和前夜。
このバスを入れた後、価格競争の波に襲われ、自社発注の新車が同社に入るのは、13年後の2008年。エアロクイーンを待つことに。
この間中古車の導入はあったものの、年式を越されることはなかった。
ハイデッカー車としては結局15年後の2010年、エアロエースが入るまでの間、生え抜きのトップとしての座を守り続け、会社を支えた存在だった。

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ハイデッカーながら高出力エンジンを搭載し、大阪線や福岡線の続行便にもたびたび起用された。

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いよいよ、有終の美を飾る時。
最後の乗客となって、その場に居合わせることのできる喜びを感じる。

2025年7月 3日 (木)

帖佐十文字

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白黒写真だと、相当昔に感じるかもしれないが、撮影は1993年。
しかし、あれから32年が経過した。十分昔なのかもしれない。

JR九州バス加治木線が走っていたのは、1997年3月まで。一度に全線が無くなったわけではなく、路線短縮が段階的に行われ、県内では、一番最初に廃止された営業所となった。
最後まで残った蒲生町~帖佐駅間は利用者も多く、厳しいながらも残る可能性を期待したものの、南国交通に後を託して消えていった。

2025年7月 2日 (水)

牧之原~桜ヶ丘団地間直通バス

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かつて、桜ヶ丘団地から牧之原まで直通するバスが運行されていた。
その昔、大隅半島側を運行していた三州自動車と、薩摩半島側を運行していた南薩鉄道とが一緒になったのが鹿児島交通。
同じ会社になってからも、基本的に中は分かれていて、労働組合はそのまま別組織として独立していたと聞いたことがある。
そこに、この直通バスである。
昔のことを調べていくと、旧三州の乗務員が担当する薩摩半島側の路線があって、国道10号系統のほか、鴨池港(16番)線と、桜ヶ丘団地(17番)線もそうだったのだとか。
桜ヶ丘団地線は、鹿児島交通にとっては初めての本格的な「団地線」。その運行開始にあたって、どんな駆け引きがあったのか、想像をめぐらすのは楽しいものである。

2025年6月24日 (火)

貴重な「市役所前」行き

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かつて、市営バスの市街地方面行きのバスといえば「市役所前」の行先で走っていたが、
ふと気づいたら、市営バスの市役所前行きのバスはずいぶん減ってしまっていた。
バスが次々にやって来る天文館でも、市役所前で登場するのは1番線ばかり。
ほかにもあるのだろうけど、7月に予定されているダイヤ改正では、天文館を通過するバスが減らされて、市役所前行きのバスどころか、市営バスそのものを見る機会が減ってしまいそう。

2025年5月28日 (水)

夜行高速バスがあった頃

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独特の顔立ちから「パンダ」の愛称をもつエアロクイーンM。
このバスは、乗務員にも、乗客にもたいへん好評で、後にも先にも、こんなに夜行バス向きのバスはなかったように思う。
地面に吸い付くように走る。なめらかな走り。静かな車内。
また、乗りたいが、この車両はもういない。
それに加えて、鹿児島から夜行バスは完全に消えてしまった。

2025年5月22日 (木)

「幕」でデビューした最後の新車

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現在のように、バスの行先表示がLED化される前、一般的には透過フィルムで作られた行先方向幕が使用されていた。
週末の例会の準備をするにあたって、新車デビュー時に最後に「幕」が採用された最後の大型路線バスを探したら、どうやらこのバスらしいことが気が付いた。

もはや、スクールバス専属になり、懐かしさを感じる記録になってしまったが、時代はデジタル化。撮影から、もう20年以上経っている。

2025年5月12日 (月)

伊敷ニュータウン中央

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幹線道路に出てきた市営バスは、51番線。
ここから、幹線道路を避けるように団地を縦走し、城山トンネルから市街地へ出ていく。
2001年6月、運行開始当初は、伊敷ニュータウン・玉里循環線という名で、天文館へは出ていかず、玉里団地、さつま団地、伊敷ニュータウンを循環していた。

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運行開始当初は、9便設定されていたダイヤは、天文館方面への乗り入れによって、大幅に減った。
一方で、利用者は明らかに増えた。
利用者のニーズは、バスが数多く走ることより、少なくても、行きたいところに走ってくれることということを、実感した出来事だった。

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