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バスの廃車体(おしゃか)

2020年11月17日 (火)

桜島口の鹿児島交通B8

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鹿児島湾のいちばん奥。
湾が桜島を回り込んで、最も奥まった場所に置かれていた廃車体。
国道を車で走っていて、特徴的なリアスタイルが目に入り、近くに寄ってみた。
草が深かったものの、窓やドアが破れていたこともあり、車内までのぞき込むことができた。

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1973年式の三菱ふそうB805L/呉羽

私の子ども時代は、このタイプで、中長距離の特急バスや、ローカルでもよくお世話になった。

2020年11月 9日 (月)

国分の斜め窓MS

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国分を車でよく走るという方から情報をいただき、しばらくどこにあるのか探し回った廃車体。
友人と霧島神宮から重久へ県道の下り坂を走っていて、助手席からその姿を発見し、実車を確認できた。

車体前面を大胆に切り開かれ、倉庫として使用されているその姿は、他に例をみないが、このバス、鹿児島にはたった1台しか在籍しなかった特徴から、元のナンバーはすぐに特定できた。

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MS5系の貸切車は、林田バスにはセミデッカーとデッカーと2タイプ。
そのうち、窓が斜めになっているデッカーは、「鹿22か・666」しかいなかった。

元は貸切でデビューし、後に路線転用。
霧島営業所配置で、鹿児島方面へ運行されていた。

2020年10月28日 (水)

七ツ島の鹿児島交通LR

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七ツ島の「教習所」と呼ばれていた施設の入口に置かれていた廃車体。
いすゞ P-LR312J/川重 1984年式

ボディには鹿児島交通と表記があるし、塗装も鹿児島交通の旧色。
しかし、このバスにはワンマン機器の痕跡がない。
それに、現役当時の写真がまったく見当たらない。
少なくとも、本土でこのバスを私は見た記憶がない。

私にとって、完全に謎のバス。いったい、どこでどのように使われていたのだろうか。

2020年10月22日 (木)

知名のいすゞ車たち

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沖永良部バス企業団は、島の南部の知名に営業所を持ち、主要な車庫も併設されている。
初めて訪問した2002年当時、島を走るバスはいすゞ車ばかり。
2つの町が共同で運営する「公営バス」ながら、シャーシが限定されるのは、島ならではの特殊な事情があったのかどうかわからないが、島ごとに走るバスのシャーシがほぼ限定されるのは興味深かった。例えば、与論島は日野、徳之島は三菱ふそう、加計呂麻島は日産というように。

実車で走るバスがいすゞで揃っている上に、さらに驚いたのは、営業所の裏手に残されていた廃車体もいすゞ車だったこと。
調べてみると、沖永良部のバスの歴史は、その草創期からいすゞ車の歴史だったらしい。
写真誌、「奄美の昭和」(樹林舎)に、昭和31年に沖永良部でバス事業が始まった当時の写真が掲載されている。

2020年10月21日 (水)

屋久島のいすゞBA

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屋久島交通の安房の営業所奥に置かれていた廃車体。
もと「鹿22か1082」と思われる。
いすゞBA20ではないかと思うが、他のバスと比較して、焦げ茶色の帯の高さが違っていたり、年式の割にナンバーが新しかったり、窓が昇降式だったり、前面の行先表示の窓が2分割になっていたりと、鹿児島交通系のバスの一般的な仕様とは異なるところばかり。
まさかと思うが、このバス、当時としては珍しい移籍投入ではないだろうか?

現役時代の姿は、BJ41-Vさんがご提供くださった写真が今のところ唯一見つかった記録。
こうして並べてみても、1台だけなぜ?と感じる、目立ったバスだったことがわかる。

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2020年10月15日 (木)

末吉の元JR定期観光

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これも、近くを走る友人から、「なんかいる」と情報をいただいて、探しに行った記憶がある。
調べると、644-6928、「元鹿児島22き・605」。

http://busforumkagoshima.on.coocan.jp/register/22ki/0700/0605.html

いろいろと疑問点はあるものの、どうやら、1990年の山鹿~熊本空港線に使われていたらしく、宮崎支店を経由して、鹿児島入り。
鹿児島では、桜島定期観光で使用され、最終的にここにやってきたらしい。

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国鉄末期に貸切強化のために導入されたハイデッカーのうちの1台だが、一般的な独立懸架ではなく、路線バスと同じ車軸式のエアサスを装備し、ヘッドライトも丸形4灯。
民間他社に遠慮してこの仕様になったのか、はたまた、予算が不足していたのかわからないが、「いかにも」国鉄の貸切バスだと感じたものだった。

2002年11月撮影 末吉町南之郷

2020年10月 6日 (火)

西陵の南国BU

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住宅地の中に置かれた廃車体。
目撃情報をもとに現地に行くと、付近の住民から所有者と勘違いされた。
見た感じ、倉庫として使われているようだが、車内に勝手に入り込む人がいるらしく、困っているようだった。

このバスは、現役時代のナンバーが鹿22か610番前後のいすゞBU04と思われる。
だとすると、廃車直前は鹿児島市内線には走っていなかったはずで、なぜここにこのバスがあるのか、不思議な気がする。

2020年10月 1日 (木)

串木野の林田ジャーニー

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林田バス串木野営業所がまだ国道3号沿いの串木野市街地にあった頃、空港特急車両の増車時点で、車庫が手狭となり、海側の少し離れた場所にもう一つの車庫を設けた。

その車庫の一番奥に置かれていたのがこのいすゞジャーニー。

以前、佐多漁港にも同型車がいたのを書いたが、たぶん、同期だろうと思う。

主に、湯之元発着のローカル線に活躍していたが、その座を中型バスに譲っていた。

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当時、マイクロバスというだけで、その路線に乗る気が失せてしまい、結局今まで乗らずじまいになってしまった。
しかし乗っておけばよかった。後悔しても遅いが。

2020年9月28日 (月)

郡山の林田RC

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岳車庫にいたミニふそう(MR520)のことは先日触れた。
その後、同じ場所に置き換えられたのが「特急バス」

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このバスは、鹿児島~上川内間の特急バス用に新車投入され、国道3号を快走した。
エアサスをおごり、エアコンも完備、座席はリクライニング。
今では信じられないかもしれないが、30分ごとに特急と急行が交互運転。
それが満席で続行便が出るほどだった。

当時の国鉄鹿児島本線は、電化はされても電車化されたのは特急のみ。
電気機関車がけん引する旧型客車が、まさに何も変わらず走っていた。

ただ、このバス、乗務員によれば「さっぱり走らなかった」らしい。
そもそも、定期路線車と同じシャーシに、エンジン。重たい座席とボディを載せて、今思えばさもありなん。

私は、このバスで鹿児島~川内間を何度か往復した。思い出の車両だが、もう、どこにも残っていないようだ。

ここまで、廃車体の写真は「ネガ」から出してきた。
デジカメに移るにあたって、ほかのテーマも交えながら、ブログを進めていこうと思う。
そういうわけで、今後とも引き続きよろしくお願いします。

2020年9月25日 (金)

菱刈の林田BU

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林田バスのいすゞ路線車。
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登録番号は鹿2あ6131とあるから、大量に在籍していた、あのキャブオーバーより前。
林田といえば、ふそうか日野。いすゞの路線車は印象にない。
この廃車体を見つけた時に、ボディの林田塗装の違和感といったらなかった。

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この自動車修理工場の中に置かれた廃車体は3台。

この後再び訪れた時には、もう姿は無くなっていた。

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