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心と体

2015年5月20日 (水)

健康相談

2月と3月の残業時間が、規定の時間を越えていたため、医師の面談に呼び出された。

前もって、問診票のようなものを書いて、提出していたが、正直に書きすぎたのか、医師の面談だけでなくて、別室に連れて行かれて、カウンセリング?のような、事情聴取のようなことになってしまった。

石巻での仕事は、確かに業務量は多かったものの、やりがいはあったし、同僚とのチームワークもバッチリで、これまでにない、充実した日々だった。それについては、なんの気がかりらしいことはない。もっと、仕事がしたかった。

一方で、4月からの業務は厳しくて、自分でも、疲れていることを実感している。

今日は、親友の命日。新年度が始まって、今ぐらいが、一番きつい時期だったのだろう。自分の場合は、たまたま、業務が一段落して、一息つける状況になったけど、そうでなければ、仕事中に大声を出して暴れだしたい衝動に駆られ、窓を割って飛び降りたくもなり、メールで次々送られてくる重たい仕事に、怖くてメール受信ができなくなり、そのために、仕事を溜め込んで余計追い込まれ、全身冷や汗で、何も仕事が手が付かず、ついに、仕事に行けない日を過ごし・・・次は、何が待っていただろうか、とも思う。

同じ歳くらいの友達が、精神的な病気に悩んでいるのを、間近で見てきた。とても、人ごととは思えない。

今、自分がやっている仕事が正しいのか、次に何が待っているのか、何かを見落としているのではないか、そのせいで、同僚に多大な迷惑をかけるのではないか、自分が出した答えは正しいのか、大きな失敗をして、取り返しのつかない大損害を組織に与えるのではないか、何もわからない中で、見つからない答えを探しつつ、無駄に流れる時間に冷や汗を流し、結局、誰に頼れるわけでもなく、最後は一人で考えるしかないだろうなと思いながら、でも、仕事に行かないと、家族を食べさせていかなくてはならないし。遊びに行くこともままならないし。

つらくてきついし、漠然とした恐怖に押しつぶされそうな感覚に襲われるので、こういう時は、真面目に考えるのをやめる。何とかしようと思うから、きついのであって、なんとかなるさと思いながら、自信のない、自分自身がちっとも納得していない書類を作って、とりあえず前に進む。それで、仕事が滞ったとしても、これが限界なので、仕方ない。

1か月後、あるいは1年後に、笑って済ませられたらいいかな。

2015年1月20日 (火)

急性胃腸炎でトイレの住人

金曜日、建物の検査の最中、突如猛烈な吐き気に襲われ、コンビニのトイレに駆け込んだ。検査を同僚に引き継いで、アパートまで送ってもらい、そのままトイレの住人に。寒気がして、布団に入るが、まったく眠れない。

最初は、落ち着いたら、職場に戻って、たまっている事務仕事の続きを片付けるつもりだったのに、甘かった。

翌、土曜日。まだ、トイレの住人。少し間隔は開いてきたものの、とても外出できる状況ではない。脱水症状だけは怖いので、近所のコンビニでスポーツ飲料を調達。本当は、ドラッグストアあたりで、水分補給に適したものを確保したいが、そもそも元気でなければ行けっこない。

夜になると、ずいぶん落ち着いてきて、パソコンの前に座れるようになった。本当は、バスで日帰り旅のつもりだったのに…。

日曜は、とりあえず復活。早朝からたまっていた家事を片付けて、予定通り出勤。そして、月曜夜は、鹿児島からのお客様との宴席。ギリギリの日程で、復活劇?

それにしても、どこで「当たり付」のものを口にしたのか。気になる。

2014年11月 7日 (金)

初バリウム

職場で健康診断。

40歳を過ぎると、胃がん検診も義務付けられていて、今回、初バリウム。
前もって、散々脅されていたので、どうなることか、たいへん不安な状態で受診した。

初めて飲むバリウムは、確かに、「コクがあるのにキレがない」
下剤入りで、飲んだ後は、水分補給を言われる。

その後、果たして、トイレの住人になったのかといえば、そうでもなく。

前評判ほどは、キツイ検査ではなかった。しかし、何度もやりたいものではないなぁ。

2014年9月29日 (月)

ようやく復活

両親が鹿児島に帰っていき、再び日常が戻ってきた。

4連休、そんなにきつい日程ではなかったはずだが、のどが痛い。風邪ひいたかな?
きついながらも、水曜日は普通に出勤、夕方にはかなりきつい状態だったものの、会議があって、残業までフルに「出場」。一晩休めば何とかなるかなという期待もむなしく、木曜ものどの痛みは続く。ヘロヘロだし、仕事を休もうかとも思ったが、午前中、どうしても外せない予定があった。それだけは、片付けておきたいと出勤。自転車だとキツイかなと思ったので、JR利用。

午後から休みをもらって、家で休む。食べないと元気が出ないからと、食事はとるが、準備するのは自分しかいない。皿を洗うのもひとり。やはり、病気の時の一人暮らしはきつい。

ともあれ、金曜には、いくらかよくなり、普通に出勤。その夜が、職場の同僚の結婚祝いということで、これも外せない。早めに切り上げて帰宅したけど。

土曜も出勤。まとまった休みはなかなか難しい。が、快方には向かっている。

そして今日。買い物にも普通に出かけられた。馬鹿でも風邪はひく・・・。

2014年9月10日 (水)

あれから1年 胆のう炎のその後

今でも、入院の顛末を書いた当ブログの記事を、検索で訪れる方が多い。
たしか、1年ぐらい経ったかもと思って、過去の記事を見てみたら、ちょうど1年前の今日、激痛に襲われたことが書いてあった。

発作が治まったことから、そのまま出勤、しかしその後、職場であまりに調子が悪くて、近くの内科を受診。紹介状を持たされて、総合病院に行ったら、そのまま入院。そして、12月には手術・・・。なんと慌ただしかったことか。本当に、貴重な経験をさせてもらった。
その後、今では、普通に油ものも食べられる。天ぷらだって、ラーメンだって、焼肉もへっちゃら。胆のうがあった時よりも、腹の調子はいいような気がする。もともと、腹を下しやすい体質?と思っていたのに、こんなに、普通の人は腹を壊さないのかと、感心するぐらいに、健全。
それでも、油断は禁物だし、なにより、42歳。年齢を考えて、脂っこいものは、以前より食べなくなったし、深夜のラーメンなんて、怖くて食べる気がしない。そういう、意識の変化が、体調の変化にも表れているのかも。
胆のう摘出で、体にどんな影響が出るのか、手術の前は、いろいろ心配で、調べてみたりしたけど、少なくとも、自分の場合、生活は、全く通常通り。
もし、迷っている人がいるなら、あっさり手術して、心配事を無くした方がいいよ。と、背中を押してあげたいと思う。
P9140197
人生初入院。今では、いい経験だったと思う。
健康第一。無理は禁物だ。

2014年1月14日 (火)

やっぱりまだ本調子ではないのか

今日で退院1か月。当初は、腹部をかばって歩き方がぎこちなかったり、下痢や腹痛を恐れて、食事の内容に気を遣ったり、よく噛んで食べるように相当気を付けていたものだが、次第に、そういうことも忘れて、元の生活に戻りつつあった。

しかし、金曜日、職場の新年会に出て、土曜日は、町内会行事で力仕事。
ここまで、何も起こらなかったのだが、日曜日から月曜日にかけて、強烈な右脇腹の痛みと、ひどい胸焼けに断続的に襲われ、微熱も出た。

どうしたのだろう?何が、自分の体で起こっているのだろうと不安になったが、いろいろ調べてみると、術後あまり期間が経過していない中で、腹筋や、消化器の機能が十分に回復していないことが主原因といえそうだ。

食事制限が特にないとはいえ、やはり無理は禁物…ということか。

まだ、しばらくはおとなしくしておけということかな。うーん、残念。

2014年1月12日 (日)

風邪ひいたかな?

うーん、なんだか体が痛い。昨日の筋肉痛にしては、ちょっと場所が違うような。

ついでに、熱っぽいような。

こりゃいかん、休もう。明日元気だったら、バス撮りたいんだけどなぁ。

2013年12月20日 (金)

5日目 入院、そして腹腔鏡下胆のう摘出術

12月15日、入院5日目。

昨夜は、これまでで、一番まともに眠れたような気がする。まだ、肩や腰が痛むが。

朝から、飲み薬すらなく、病院での最後の食事をいただき、それ以外はすることが無い。

10時に退院ということで、9時には、妻と父が来てくれた。まだ、荷物を持って、駐車場まで歩く自信がないので、2人に頼ることになるが、わずか5日で退院とは、本当に回復が早いと思う。

妻の運転する車で、病院を後にする。車の揺れが、そのまま腹の傷に響く。これは、30分が限界だな…。まだ、外出は無理ということか。

久々の自宅。寒いので、布団に入ってしばらく休みたいところだが、眠ってしまうと、夜がきつくなりそう。

座椅子に座って、布団をかぶり、入院中に撮りためたテレビ番組を見て過ごす。まだ、机に向かってパソコンをいじる気にはならない。

風呂を準備してもらい、初めての入浴。腹帯や、ガーゼなども外し、ここで初めて、すべての傷が露わになった。最大の傷は、ヘソそのものを切っている?大きさは15ミリほど。

ほかに、小さな傷が3か所。都合4か所の傷が見つかった。小さい方は、たぶん、跡形もなく治るだろう。傷口は、小さなテープで留めているだけで、とくに、縫ったような跡もない。今後の通院も必要ないし、飲み薬もない。退院時の指導では、食事や運動の制限もないとのことだった。

あとは、体力の回復を待って、職場復帰を待つだけという感じだ。

以上、今回の入院、手術にまつわる体験記はおしまい。人生初の入院、手術が、今年一気にやってきて、なんだか、いつまでも若いつもりで、無理してばかりいるわけにはいかないことを実感。泣いても笑っても40代だ。

ともあれ、9月の頃からすると、4キロ体重が落ちたし、規則正しい生活にも、慣れつつある。得たものも多かった。

最後に、入院にかかった経費は、健康保険や、生命保険でほぼ全額担保されるので、実質的な手出しはなさそうだ。日本の健康保険制度の恩恵にあずかり、感謝している。

2013年12月19日 (木)

4日目 入院、そして腹腔鏡下胆のう摘出術

寝る前に、点滴の針が抜かれた。もう、自分をつなぎ止めるものはない。残るは、体内から出ている、ドレンチューブを抜き取るだけだが、これがどんなものかわからない。細い管が入っているだけと説明があったが、まだ見ていないし、触感もない。たぶん、定期的に替えるガーゼが、このドレンを受けるためのものだが、特に汚れているふうでもない。もっとも、ここから出血したり、ましてや、胆汁が漏れてきたりしたら、再手術決定らしいので、きれいであるに越したことはないが。

まっすぐ上を向いて寝ると、おなかがピンと張ってしまい、傷口をかばって、あちこちが痛くなる。そこで、左右いずれか、交互に体を動かしながら眠ろうとする。今度は、肩まで痛くなってきた。腹腔鏡手術後に、誰もが訴える肩の痛みだが、術後48時間以上たってから、起こるものだろうか?

眠れないので、スマホでいろいろ検索したら、ドレンを抜くのが激痛だという記事を見つけてしまう。自分はどうなるのだろう?考えると、内臓の奥から、傷口を介して、チューブを引き抜くわけで、痛くない方がおかしい気がしてきた。

せっかく眠り込んでも、腰や、肩の強い痛みで目覚めてしまう。あまり眠ったような気がしないまま、朝を迎えた。

まだ、長い距離を歩く自信はない。階段も無理な気がする。職場や、保険会社に提出する診断書を、早めに請求しておきたいが、1階の総合受付に行く元気がない。そして、せっかく持ち込んだパソコンも、いじろうという気にならない。ブログは、事前に準備しておいて大正解だ。市営バスの新車の話題が次々メールで入るが、撮影に出られるようになるのはいつのことか。

朝食は、普通のご飯が出る。いよいよ、普通の生活に戻ったということか。咳ができるようになり、痰の除去も比較的楽にできるようになったが、まだ、腹をかばいながらしなくてはならない。

まだ、ドレンチューブが刺さったままなので、入浴は不可。シャワーはできるらしいが、体拭きだけにしておく。背中を看護師さんに拭いてもらい、後は自力で拭きあげる。初めて、術後の自分の腹を見る。見える傷口は2つだけ。まだ、ドレンの方はガーゼで隠れている。5ミリほどの傷が、テープでふさいである。それだけ?という感じだ。

いろいろ、テープで張ってあった跡が、べたついて、黒い汚れになっているので、念入りに拭く。力を入れると、普段使わない筋肉なのか、意外なところから痛みが出てくる。

今日も、座薬が処方されている。朝の座薬を入れたら、いきなりもよおしてきた。さすがに、まだ、座薬が融けていないだろう。なんとか30分は我慢する。そして、トイレへ。これで、無事に大も完了。一緒にガスも出たから、心配がまた一つ減った。

そして、年配の医師の回診。傷口や、ドレンの様子を見て、問題なし!というか、「ドレンが、まだ外れてなかったんだね。」といいながら、手袋をはめ、外しにかかる。大きめのピンセットで、器用に固定している糸をとっていく。チューブをつまむと、「結構、長いのが入っているんだよね。」と言いながら、太さ4ミリほどの透明な管を引き抜いていく。不思議に、痛みは感じない。どこかの、激痛ブログはなんだったのか?これで、完全に、体から「管」が抜けた。気分もスッキリ。

午後から、母が見舞いに来てくれる。点滴すらつながっていない私を見て、早い回復ぶりに驚いている。歩くのも、だいぶ早くなった。しかし、微熱は続いていて、血圧も低い。やはり寒気がするので、布団をかぶって横になる。

16時過ぎ、義理の両親が見舞いにやってきた。丁重に断っていたのだが、やはり、顔を出さないわけにはいかないのだろう。眠っているわけにもいかないので、起き上がって、話をする。明日が退院予定。今夜一晩、ゆっくり休みなさいと言われる。ありがたいが、ある程度復活してからでよかった。

3日目(2) 入院、そして腹腔鏡下胆のう摘出術

明るくなってから、看護師が、ガーゼの交換をしてくれる。尿道カテーテルを抜きましょうと言われる。
「深呼吸をして、息を吐いている間に、一気に抜きますね。」
管が引き抜かれていく。力が入らず、尿が漏れているような、生温かい感触だが、実際濡れてはいないようだ。痛みはない。これで、不自由が1つ解消。トイレに行きたくなったら、手伝いますので、呼んでくださいね。と言われる。いよいよ、自力で歩かなければならない。

昨日の、手術室担当の看護師がやってきて、着替えを手伝ってくれる。心電図や、血圧計、既に外していた指先の酸素量測定器も回収される。手術着を脱いで、自分のパジャマになる。入院の案内に、浴衣若しくは前開きのパジャマとあったので、後者を準備していたが、ズボンのゴムが、ちょうど腹の傷口部分にあたってしまい、腰の低い位置ではかざるを得ない。看護師は、思いのほか、私が自分で体を動かすので、これなら、すぐに歩けるでしょうね。と言う。痛がって、時間がかかる患者が多いそうだ。私が動けるのは、不快感の克服のために、一晩中、もがき続けた結果だが。

朝早くから、父が来てくれた。こういう時、実家が病院のすぐ近くだと助かる。歩いて5分もかからない距離だ。
初めて、自分の胆のうの写真、そして、石の実物を見せてもらう。見るからに色の悪い胆のう。すでに、開いてあって、袋のようには見えない。炎症のせいで、肥大化していたらしく、腫れているようにも見える。そもそも、どっちが上か下かわからない。石は、16個あると、父が教えてくれる。大小様々だが、大きいものは、直径8ミリほど。こんなにあったのか。炎症になるはずだ。

術後14時間で、朝食が出る。5分粥で、ほとんど固形物がない。おかずも、見るからに消化によさそうなものばかり。デザートにヨーグルトがついていた。
汗だくになりながら、食事に30分もかかり、なんとか完食。疲れ果てる。

レントゲンがやってきた。撮るとは聞いていたが、まさか、レントゲンの機械が、病室にやってくるとは驚いた。たいそう大きな機械で、背中の下に、鉄板を敷いて、上から撮影する。すごい。

いよいよトイレへ。看護師に知らせて、付き添ってもらう。何が起こるかわからないから、おっかなびっくりだが、普通に自力で立てた。点滴のスタンドを杖代わりにして、病室入口まで歩く。ゆっくりしか歩けない。トイレでは、座って、用を足す。空気の入ったホースから水が出るように、不思議な状態でプスプスいいながら尿が出る。とくに、終わりぐらいに、空気が大量に出てきた。

お腹に力が入らないので、「大」をするのは大丈夫なんだろうかと不安になる。まだ、行きたくはないが。

トイレから戻るときも、看護師が見守ってくれる。大丈夫、歩ける。父がそれを見て、感心している。まだ、手術から24時間たっていないのに、食事ができて、歩けるというのは、すごいことだ。

今日は、点滴が2本と、抗生剤が1本。終われば、今夜にも点滴が外れる。残りは、体内から出ているドレンのチューブだけになるが、これも、医師の判断で、今日抜くかもしれないという。

しばらくして、部屋の移動。個室を出て、6人部屋に向かう。元の部屋ではなく、一番奥の部屋。無理とは思わないが、かなり遠いと感じる。歩かせるのは、手術後の内臓の癒着を防ぐ意味があるらしいが、血液の循環を促す意味もあるのだろう。ようやく、血栓防止用の弾性ストッキングを脱ぐことができる。太ももがかゆくて仕方なかったので、待ちに待った瞬間。

痛みは、例によって、腹筋あたりの筋肉痛だけ。座っている分には、ひどく傷むわけではない。テレビを見る元気はなく、一人になったら、イヤホンで音楽を聴きながら、横になっていた。布団の中にいないと、寒気がする。朝の測定では、37度台の微熱だった。このぐらいは、通常の範囲だそうだが、血圧が非常に低い。もともと低い方だが、最低記録を更新した。

今日、この部屋の担当看護師は、前回、検査のために、院内を案内してくれた方。あの、5色のナース服を「正義の味方」に例えたら、受けてくれたその人。「前に、確か、ご案内したことがありましたよね?」と言ってくれるので、はい、その通り!と喜んで答える。3か月前に、道案内をしただけの看護師が、患者を覚えているとは!ちなみに、私は、この看護師があまりに印象的だったので、再会を楽しみにしていた。わかりやすく言うと、好きなタイプである。

腸の動きを活発にするため、朝と夕に座薬が入れられる。自分でできないこともないと思うが、看護師さんがやってくれる。結構恥ずかしいし、彼女にも、楽な仕事ではないと思うが、満点の笑顔で、はい、これでOK!と、明るく去っていく。また好きになる。
朝の血液検査と、レントゲンの結果が知らされた。問題ナシ。

食事は、昼は全粥になる。なんと、200mlの牛乳がついている。低脂肪とか、脱脂粉乳でない、普通の牛乳。それと、マヨネーズ。どちらも3か月ぶり。

夕方、妻が娘を連れて見舞いに来た。術後24時間経過。普通に座って話をする。心配だったのだろうか?普通の、いつも通りのお父さんだねと妻に言っているのが、聞こえてきた。

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