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昔話

2016年3月14日 (月)

針持

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国鉄宮之城線の廃止代替で、旧鉄道駅を結んで走る路線バスが新たに設定された。
県内の鉄道代替バスは、どこも大型バスを使っていたが、宮之城線についてはすべてが中型車。鉄道車両に比べると、その輸送力は格段に少なかったが、その中型バスすらオーバーサイズとなり、現在はマイクロバスが走っている。

それでも、まだ走ってくれるだけありがたい。
赤字だから鉄道がなくなるのなら、同じ理由でバスも無くなるのではないか。
当時、聞かれた話が、現実のものになりつつある。

2002年3月撮影 大口市針持

2016年3月13日 (日)

槻木郵便局前

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昨夜は、ブルートレイン多良木に泊まった。
高校以来の、同じ趣味の友人と、同窓会。

朝起きて、昔、一緒に乗りに行った槻木へ、また行ってみようという話になった。
就職する直前、まだ学生だった時、ローカルバスを乗り歩いている中でめぐり合った、槻木線。当時でも稀少になっていたモノコック、パワステ無しのベテランバスが、峠越えの専用バスとして使われていた。

「最近の床の低いバスは、ダメなんだよ、下こすっちゃうから。」

言われる通りの壮絶なヘアピンカーブ。

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運転手は、重たいハンドルを右に左に常に回し続け、
「こいつのハンドルは、腰を使って回すんだ」
と言い放ち、
「槻木線を走れるのは、人吉のベテランだけ。大型3種免許が必要」
と笑った。

しばらくぶりの槻木。
バスは廃止され、バス停も全くないから、乗り合いタクシーすらないのかもしれない。
七曲りのヘアピンカーブも解消され、峠のトンネルも改修されていた。
それでも、険しい山道はそのままで、幅も狭い。
多良木の街から30分以上峠越えの道を走り、ようやく集落に到着。
槻木の小学校は、現在も授業を行っているようで、きれいに整備されていた。

1994年12月撮影 熊本県多良木町

2014年5月22日 (木)

終点細倉マインパーク前

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終点、細倉マインパーク前駅。
現役当時のままの姿で残っていた。

駅のホーム側に回ってみると、レールもそのままで、普通に列車が走ってきそう。

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この景色、家に帰ってから、20年前に撮った写真を見返すと、ほとんど同じ構図で撮ったものが見つかった。電車の車内から撮ったもので、ここに、確かに電車が走っていた証拠にもなろう。

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これにて、一応、くりでんシリーズはいったん終了。

また、機会を見て、訪問してみたいと思う。最後に、私が乗った電車、車内のスナップを。
みんな、大人になっただろうな。

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2014年5月21日 (水)

栗原電鉄尾松駅の20年後

昨日に続き、くりでんシリーズ。

栗原電鉄は、もともと軌間762mmの軽便鉄道で開業。のちに、JRで使われている1,067mmに改軌された。

このことで、様々な「遺構」が生まれているのだが、その痕跡を気にしながら、94年当時、電車に乗った。

全線乗車して単純往復するという行程で、走行中や、途中駅での写真はほとんどないのだが、途中、車窓に見かけた貴重な痕跡の写真がある。

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当線の名物機関車。ED201。もともとナローゲージ時代に活躍していたものを、改軌に合わせて、台車の幅を広げる改造を受け、車体の割に、えらく「ガニマタ」の足をもつ。

それから、途中、尾松駅では、ナローゲージ時代に使用されていた、坑口の狭いトンネルが残されていた。

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電車の車窓にこれを見つけて、あわててカメラを構えたのを強く記憶している。
この場所だけは、なんとしても再訪したくて、比較用の写真を撮ってきた。

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トンネルも、線路もそのまま残るが、ヤブに隠れてしまっているのが残念。

駅は駅舎どころか、プラットホームもなく、駅跡に、墓標の様な真新しい標識が残されていた。

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尾松駅を出て、細倉方面へ向かう線路跡。

跡だと言われなければ、そのまま電車が走ってくるような錯覚をおぼえる。

やはり、もう1回乗っておくべきだった。

2014年5月20日 (火)

栗原電鉄の思い出

金曜の夜、5月異動に伴う、職場の歓迎会が開催された。
その席で、ひょんなことから、「鉄道マニア」の話になり、「それなら、くりでん知ってる?」と問われ、乗りに来たことを話したら、「あんたは、筋金入りだ」と太鼓判を押されてしまった。くりでんとは、宮城県北部、東北本線の石越から、内陸の細倉鉱山までのローカル私鉄である。つい、数年前廃線になってしまった。

乗りに来たといっても、94年の7月。たった1回だけの訪問である。当時は、全国の地方私鉄路線を乗り歩いていた時期で、ようこそあの時乗りに行ったと自分でも感心するほど、全国各地のローカル私鉄に乗っている。

そんな話題が出たものだから、日曜日、ドライブがてら、栗原電鉄跡を車で走ってきた。私が行った時点では、栗原電鉄を名乗っていたものの、その後、第3セクターのくりはら田園鉄道になり、電化設備を撤去、ディーゼルカーが走るようになった。私は、電車の姿しか知らないから、かえって貴重な世代かもしれない。

準備をしっかりしてから出ればよかったのだが、ロケハンを兼ねて…というか、ほんとうに、何となく車を走らせて行ってみたので、当時と比較できるような定点比較の写真が撮れていない。廃線跡がそのまんまなのに驚きつつ、当時のことを少しずつ思い出した。

94年、起点の石越駅にて

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そして、現在の同駅。電車ホーム跡は、駅利用者の駐車場に。

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よく見ると、駅前の赤い色の商店がそのまま。

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このほかにも、写真があるので、シリーズで?紹介してみたいと思う。

2014年1月18日 (土)

佐多岬の思い出

10年前の写真を見ていたら、佐多岬にバスで行った時の写真が出てきた。

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当時のバス乗りは、回数券を束で買って、それを組み合わせながら支払っていた。
現在は、バスで佐多岬に行くことはできないし、そのすぐ手前の大泊も、日帰りできないダイヤなので、あの頃はよかった・・・。

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展望所に向かう、歩行者用トンネルの手前がバスの終点。ここのバス停には、「本土最南端」の文字があって、記念撮影にも配慮?してあった。

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たぶん、多くの方がここで記念撮影をされているであろう、有名撮影場所。

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まだ、展望台が「健在」だった。中には売店もあったし、旅の思い出をつづるノートも置かれていた。

現在は、リニューアル工事中とのことで、とくに、展望台などの設備はないそうだが、有料道路が無料化され、誰でも、岬に行けるようになって、観光客は増えているのだとか。

バスで、簡単に行けないのは残念だが、また、遊びに行きたくなってきた。

2013年12月 5日 (木)

3枚の写真

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鹿児島市役所前にて

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鹿児島駅前にて

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鹿児島市役所前にて

これら3枚の写真、共通するのは、すべて10年前の12月に撮影したということ。
10年というと、ほとんどのものが変わっていくものだが、これらのバスは、昨日撮ったといっても信じてしまうぐらい、今もほとんどそのままの印象。

もちろん、詳しい人が、細かく見れば、変わっているところが見つかるのだろうけれど、意外なほど、そのまんまなのは、かえって貴重な存在なのかもしれない。

2013年11月21日 (木)

甲突川にあった石橋たち

昔話ばかり続くが、最近、そうそうネタもないもので。

中学1年の時、夏休みの自由研究提出用に、自転車で史跡を回って写真を撮った。さすがに、露出不足や構図がメチャクチャ、手ブレにピンボケと目を覆うばかりだが、撮って、ネガを保管しておいた点については、我ながらエライと思う。
ご存知のように、甲突川にかつて架かっていた5つの石橋のうち、玉江橋と武之橋は、93年の水害で流失。残りの3橋も、祇園之州に移設されてしまった。

移設されたのが、まだ、デジカメやインターネットが普及する前だったこともあり、意外と、ネット上で、甲突川に架かっていた頃の写真を目にする機会が少ない。

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ならば、ここで、当時の写真を載せるのも、意味があることだろう。
なお、どういうわけか、新上橋の写真だけがみつからない。撮影しておいたはずなのだが。

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玉江橋。最上流に位置し、橋面が水平に近い形状。後ろにある、玉里ホワイトホテルにも時代を感じる。

Nishida

西田橋。欄干が立派で、5橋の中でも、もっとも贅沢な作りになっていた。その昔、島津のお殿様も、ここを渡って参勤交代をされたのだろうか。橋の幅も広く、路線バスが運行されていた。

Korai

高麗橋。幅員が狭く、普通車同士でもすれ違いに気をつかわなければならなかった。国道3号から、大学通りにまっすぐ抜ける道であり、学生時代は、ここをスピードを落とさずに渡って、自分は運転が上手いんだと、悦に入っていた。今思えば、愚かなことを。

Take

最後に武之橋。現在、市電が渡っている橋の、すぐ下流側に架かっていた。唯一、歩行者専用の橋になっており、伊敷地区在住の自分には、あまり縁がなかった。確か、この橋だけが5連アーチで、ほかの橋と規模が異なっていた。(なのに、5連アーチを撮ってないなんて!)

2013年11月20日 (水)

冷房改造のキハ52

鉄道の話題が続いて恐縮だが、今日も、ディーゼルカー。
鉄道車両の中で、私が最も好きなのは「キハ52」
鹿児島のローカル線は、勾配線区が多かったせいか、どこに行ってもこの車両だった。小学生の頃初めて乗った時、窓のテーブルが木製だったので、どんだけボロいんだと思ったものだ。

しかし、ダブルエンジンを響かせながら、延々とノロノロ坂を上り、一番前の座席からは、前面の窓との間になんの遮りもなく、側面の窓は全開にでき、半自動の扉を手で開ける…そんなディーゼルカーに、魅力を感じないはずはなかった。

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上の写真は、最後まで残っていた白熱灯のキハ52。山野線で運用されていた。

少々熱く語りすぎた。表題の件。
昭和30年代に多くが生産されたキハ52は、急行用途での使用が想定されていたとはいえ、冷房装置の設置はなされておらず、夏場はいつも窓全開というのが当たり前だった。

ところが、私の知る限り、JR九州で1両だけ、冷房改造されたキハ52が存在した。多分、冷房化100%を達成するために、無理やり?にでも、改造する必要があったのだと思うが、初めて、その姿を見た時には驚いた。

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キハ52 134 吉松駅にて。
何の変哲もない外観…と思ったらとんでもない。

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屋根の上に乗せられた、その冷房ユニットの違和感!

私は、どちらかというと、窓全開の普通列車が好きなので、あまり歓迎していたわけではないのだが、この134号車は、この冷房装置のおかげか、同形式としては最後まで生き残ることになるのだった。

2013年11月19日 (火)

15年前、山川以南に4両編成が走った

今から15年前。98年11月のカシオワールドオープンには、かの「タイガーウッズ」が、日本で初めて参戦するとのことで、いつもに増して、大輸送作戦が展開された。
それまでも、臨時列車が運転されることはあったものの、この年は特別。

例年、指宿または山川からバスで会場へ、あるいはバスツアーで会場へ行くというのが通常パターン。しかし、この年だけはそれだけでは不足することがあらかじめ予想され、これらのバスはもちろん、なんと、指宿枕崎線の山川以南にも臨時列車が走った。

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ゴルフ場の最寄り駅は、通常無人の「停留所」である東開聞駅。列車3両分しかプラットフォームもないような小駅に臨時列車が着くたびに、駅前は大勢の人波でごった返した。
ウォーキングイベントでもあるまいに、駅からゴルフ場までの狭い道は歩く人の列でつながっていたのだから、たいしたものだ。

現在は、1両ないし、2両編成で運転されている指宿枕崎線の山川~枕崎間。この日は、なんと4両編成が走った。

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東開聞は、当然折り返しの設備がなく、列車は回送で西頴娃まで走った。さらに、枕崎まで乗り入れた4両編成の列車もあり、当日は、列車の撮影で走り回った。

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当時は、まだ、あまりバスにカメラを向けるという意識はなかったのだが、山川駅前に待機するシャトルバスの列には驚いて、シャッターを押した。

現在は、高知県で開催されている同大会。もう、同じような大騒ぎになる可能性は低いのだろうけど、いつかまた再び・・・と期待している。

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