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昔話

2023年1月16日 (月)

島原で泊まった宿

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昭和57年前後の南福岡電車区。
当時小学生だった私は、2人のおじに連れられて、ここに行った。
確か、正月に親戚が集まった時に、おじが鉄道に乗って遊びに行くような
話しになって、それなら、この子も連れて行ってと、母が頼んでくれた。
当時、おじは、南福岡電車区のすぐ近くに住んでいて、我々は、ここに歩いて
行ったのを覚えている。

さて、この後、長崎に移動して、午後のアンゼラス号に乗って、雲仙経由で島原へ。
確か、雲仙のターミナルで乗り換えたバスは、西工のカマボコだった。
雲仙は深い霧の中で、景色も何も全く見えない山道をバスは走った。こんなに何も
見えないのに、バスの運転手は間違えることなくカーブを曲がり、さすがプロの
目には見えないものも見えるのだと、幼心に変に感心した思い出がある。

この日の泊まりは島原。宿の名前は覚えていないが、たしか、予約をしておらず、
観光案内所で案内された宿に行き、近所に食事に出かけた。
この宿、敷地の入口に島鉄の線路があり、朝早く起きた私は、腰下に広告のある
ディーゼル列車をその線路わきで見送った記憶がある。踏切のはずだが、路面
電車のように、線路は敷地と段差がなく、それが深く印象に残っている。

果たして、その時泊まった宿がどこなのか、実は今もわかっていない。
地図で探しても、ストリートビューでそれらしい場所を見ても、そんな宿は見つ
からない。あれは、夢だったのか。
記憶では、2階建ての階段がギシギシ音を立てるような古い宿だったはずだが、
なにぶん、手がかりは自分のおぼろげな記憶だけ。しかし、確かに、泊ったのだ。
偏食のひどかった私に、おじはうなぎ屋に連れて行ってくれた。翌日は、島鉄
高速船で大牟田に渡った。いろいろ覚えているのに、宿が気になって仕方ない。

2022年9月 5日 (月)

出水駅

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新幹線開通前の出水駅。
バス後方の駅舎は、現在の肥薩おれんじ鉄道の出水駅だろうか。

その駅前広場に発着していたJR九州バス北薩線。
とくに、夕方の宮之城行きは、宮之城到着の5分後に、同じバスが鹿児島駅行きに
なっていたので、出水~鹿児島間を2時間半弱で乗り継ぐことができた。

国道328号が改良されて、空港特急バスの運行が計画された時、JR九州バスは、
一度廃止された路線を復活させた。空港特急バスに、当初のもくろみ通り
JR九州バスが参入していたら、また違った展開があったのかもしれない。

2022年8月18日 (木)

西鹿児島駅の2つの枕崎行き

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昔の西鹿児島駅の時刻表を見ると、枕崎のほかに、鹿交枕崎と書かれた行先の
列車がいることに気づくだろう。
枕崎の方は、現在も運行されている指宿枕崎線、指宿経由。
もうひとつ、鹿交枕崎の方は、昭和59年3月に廃止された、通称南薩線、鹿児島
交通枕崎線に乗り入れて走る、伊集院、加世田経由。
小学4年の時に初めて書店で大型時刻表を手に入れて、ゆっくり中身を見て驚いた。
鹿児島に国鉄以外の鉄道があって、それが、毎日3往復西鹿児島まで直通してくる。
それに、たいへん興味を持った。
最初のうちは、伯父の家が寺之下踏切に近いことに目をつけ、そこから歩いて列車
の通過を見に行った。次に、入場券を買って、西鹿児島駅に鹿交枕崎行きを見に行
った。長いホームにわずか1両だけの古ぼけたディーゼルカー。駅の水道を使って、
乗務員が清掃に余念がなかったのを印象深く覚えている。
実際にこの車両で、加世田まで乗ったのが3回。小学4年生から5年生にかけて。
片道は南薩線。もう片道は大坂経由の鹿児島交通バス。そんな乗り方をして、
道中を楽しんだ。おそらく、私の趣味の原点がここにある。
ネガの時代で写真は高価だったし、親のカメラを持ち出すのも、そう頻繁にはでき
なかった。それでも、よく認めてくれたものだ。この写真は、我が家にあった旧式
のマニュアルカメラ(EEカメラ)で撮ったものである。

2022年5月23日 (月)

磯山公園

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南国交通運行の吉野循環バスが走る磯山公園。
この公園は、通常は閉まっていて、桜の時期だけ限定的に開放される。
場所的には、ちょうど磯仙厳園の上にあたる。

そういうわけで、普段は訪れる人もほとんどなく、バスは近隣に点在する住宅に
住む人々のために、静かに運行している。

私が小学生の頃は、磯山公園は遊園地になっていて、下の仙厳園とはロープウェーで
つながっていた。登山道もあって、急いで走れば、ロープウェーよりも早く先回り
することもできた。そして、磯山公園側から入ると、入園料が不要。
問題は、当時、循環バスは無くて、アクセスが絶望的だったこと。

昔の思い出ながら、今、ロープウェー跡や登山道はどうなっているのか、確認して
みたい気もする。

2022年5月18日 (水)

伊敷小前

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昨日、甲陵高校のバス停の話題を書いたら、自分が小学生時代にお世話になった
バス停のことが気になって、昔の写真を探してみた。

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花野小学校が開校する昭和61年まで、千年団地の小学生は、伊敷小学校までバス
通学をしていた。写真の屋根付きのバス停にきちんと整列して、バスを待ったも
のだ。後方の空き地は南国交通観光のバスの車庫で、よく、中に入って遊んでい
た。とくにとがめられることもなく、立入禁止の標識も、ゲートも何もなかった
し、古き良き時代だったのをあらためて思う。

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車庫があった関係で、南国交通のバス停名称は「伊敷車庫」
ここを発車したら、伊敷団地へ上る急こう配が続く。満員になると、バスは2速
のままでないと登り切れなかった。乗客の数を見ながら、今日は2速だなと、
幼心に想像しながらバスに乗った6年間だった。

2022年5月17日 (火)

甲陵高校前

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現在は、高校名が変わり、バス停名称も明桜館高校入口となっている、郡山の
国道328号にあるバス停。
区画整理事業で周辺の雰囲気はすっかり変わってしまったが、バス停の場所は
ほとんど変わっていない。
今でこそ、バスは学校までの坂道を上がっていくが、開校以来、バスはこの
停留所を発着していて、学校への乗り入れは長いことなかった。
ピーク期に1,000人を超えていた生徒の通学は、専ら国道のバス停で、そこには、
バス2台分くらいの、長い屋根が設けてあった。

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当時の写真がないものかと探してみたら、旧郡山町時代に撮影されたバス停の
写真を提供していただいて、保存しているのを思い出した。
普段と違って、バスの姿はないが、きっと、この屋根を見るだけで、古き良き
学生時代を思い出す人が大勢いるのではないだろうか。

2022年3月15日 (火)

(与論)南バス前

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2002年の8月、初めて与論を訪れた。
島のバスは、全国版の時刻表に掲載されていて、島一周が500円。北回りと南回
りがあって、それぞれが逆回りになっていた。
夜行のフェリーで与論に着き、港にはバスがなく、タクシーで南バス前を目指した。
時間になって、登場したのがこのバス。真夏の8月だというのに、窓が全開。嫌な
予感がしたが、クーラーの故障ではなかった。
乗務員氏は、「お客がほとんど乗らないのに、クーラーはもったいない」と言って
のけた。そう言われてバスが走ると、確かに吹き抜ける風は涼しくて、不思議に暑
さは感じなかった。

島を一周して、同じ南バス前に戻ってきた時、もう一周乗ろうとしたら、乗務員氏
は「同じところを走るだけ、もったいないからやめておきなさい。これから、南回
りで走るから、北回りで歩いておいで、出会ったところで、バスに乗せてあげるよ」

この時のバスは、実は予備車で、本来の定期バスは、当時でもマイクロバスが運用
されていることを教えてもらった。そのバスを見たいという私に、整備に入れてい
るから、工場に見に行ったらいいよと、修理工場まで教えてくれた。
その日のうちに、南バスの全車両、廃車体まで含めて、すべてを撮影し終えた。
あれから20年。変わったこと、変わらないこと、感じながら、島をバスで一周した。
バスは新しくなっていたし、バスの運行ルートも大きく変わったが、私は懐かしさ
を感じた。そして、当時を思い出し、同じところを2度乗るのをためらった。

2022年2月18日 (金)

水俣駅前

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光線かぶりの残念な写真。
しかし、これも1枚だけの貴重な記録。
水俣駅前には、かつて産交バスの待合所があり、窓口業務も行われていた。
待合室にはお客さんがいっぱい待っていて、バスの利用者も多かった。
3号線系統のバスは、着席できるか不安になるほど、混雑していた。
それが今から30年ほど前の幹線系統のバスだった。

2022年1月28日 (金)

桜島桟橋

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鹿児島市電には、鹿児島駅前の次に「桜島桟橋通り」という停留所がある。
市電とバスは、だいたい停留所が一致していて、市役所前、水族館口、鹿児島駅前
は双方にある。

しかし、桜島桟橋通りに対応するバス停は無い。
鹿児島駅前と至近距離なので、そもそも、鹿児島駅前バス停が駅から離れている
路線バスの場合、設置の意味がないのだろう。

と言いつつ掲載している写真は「桜島桟橋」のバス停。
これは、電車通りよりも、1つ海岸寄りの通りにあった。
鹿児島交通の方は、旧林田バス時代に鹿児島駅前~鹿児島新港~錦江町間の路線
を開設した際、ここに新設されたが、もっと前、さらに海に近い、桜島フェリー
乗り場の臨港線の踏切横にバス停があった。発着していたのは、鹿児島~霧島の
特急バス。観光客の利便を図って立ち寄っていたもののようだ。

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一方でJR九州バス。こちらは、国鉄バス時代からこの場所にあったようで、
国分線のバスが桜島港まで延びてきていて、フェリーを介して鹿児島側の北薩線
との乗り継ぎが考慮されたものらしい。

JR九州バスは、このバス停をほとんど注目されることなく廃止したが、廃止当日
までしっかりバスは運行されていた。1日1本だけではあったものの。

2021年8月 6日 (金)

唐浜

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昔ながらの下町の雰囲気が漂う奄美市名瀬のバス整備工場。
以前、岩崎バスと奄美交通の2社が市内のバスをすみ分けていた頃、
工業団地に位置する、広くて大きい奄美交通の整備工場と、
町工場の雰囲気の岩崎バスの整備工場は、まさに対照的で2社それぞれの性格を
反映しているようにも感じた。
後に、岩崎バスが奄美交通を引き受けるなどして、現在のしまバスが成立する
わけだが、まさか、この工場が引き続き使われるとは、私には意外に感じられた。

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