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昔話

2018年7月10日 (火)

瀬野駅

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中学生の頃、86年の夏に訪れた山陽本線瀬野駅。
瀬野機関区の走行解放を見たいという友人に連れられて、この駅で2時間ほどを過ごした。
一眼レフを持ってはいたものの、技術も知識も不十分で、さらに30年以上も前のネガともなると、さすがに劣化も著しい。
今回の水害で、瀬野駅も大きな被害があったとのこと。
あの頃を思い出しながら、一日でも早く「普通の日々」に戻ることを祈っている。

1986年7月撮影 山陽本線瀬野駅

2018年4月24日 (火)

宇高連絡船廃止から30年

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瀬戸大橋が開通し、最後の鉄道連絡船「宇高連絡船」が廃止されて30年が経った。

鉄道連絡船は、ほかにも有名な青函連絡船があるが、さすがに遠くて乗らないまま廃止を迎えてしまった。
宇高連絡船に乗ったのは86年のこと。当時中学2年生。その1回きりだった。
いまなら、もう少し気の利いた写真を撮るだろうと思うけれど、それでも撮っていたのは偉かった。当時の自分をほめてやりたい。
鉄道車両がフェリーの船内にそのまま積み込まれていくのは独特の風景で、もの珍しくて4枚も写真を撮っていた。
建設中の瀬戸大橋は、下津井電鉄の電車で間近に見ることができた。確か、初めて青春18きっぷを使ったのがこの時の旅だった。
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2018年2月 3日 (土)

山野線廃止代替バス30年

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栗野駅前にて 栗野~薩摩大口間は大型バス

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水俣駅前にて 水俣~薩摩大口間は中型バス

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大口にて 現在はマイクロバス

JR九州山野線が廃止されて30年たった。廃止翌日から運行が始まった代替バスも30年。
すでに、転換交付金で購入された初期車は全廃され、現在はマイクロバスがそのほとんどを占める。

転換当初は、水俣~久木野~大川間を九州産業交通、水俣~薩摩大口~栗野~吉松間と薩摩布計~薩摩大口間が南国交通の運行となり、大口にも大型の新車が配置された。
寒冷地を走るバスらしく、灯油燃焼式の温風ヒーターが装備された鹿児島では珍しい仕様だったが、晩年は、その性能を持て余し気味で、暖房の微調整が難しくて、一線を一足先に退いた。

久木野までの九州産交バスはコミュニティバスになり、水俣~大口間の系統は空港特急に統合された。布計線は早くに廃止され、かつて存在した西菱刈経由の系統もなくなり、いくらか整理が進んだとはいえ、転換当時の路線がほぼそのまま今に残る。
宮之城線や大隅線、志布志線に比べると輸送人員が大きかったのが、その理由だろう。
乗客の多い薩摩大口~栗野だけでも残せないのかと、当時は思ったものだが、マイクロバスでも間に合ってしまう今日の交通需要を見ていると、鉄道は無くなっても仕方なかったのかもしれない。

今あるバスも、いつまでも続くとは限らない。乗れるうちに存分に乗って、記録も残しておくべきだろうと思う。

2018年1月31日 (水)

山野線廃止から30年

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薩摩大口にて

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山野にて

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薩摩布計にて

山野線が昭和63年1月31日限りで廃止になって、今日でちょうど30年。
私は、中学3年で高校受験を控え、廃止直前に訪問することは許されなかった。

しかし、それ以前に、何回か山野線には通った。一番最初は小学生の頃。母を連れて山野線を使った北薩一周の旅をしたことがあった。
水俣駅で、山野線経由で西鹿児島までの乗車券を求めたら、印刷された硬券が出てきて驚いたのを覚えている。水俣から山野線は、ほとんどお客は無く、ゆっくり座って発車したが、薩摩大口でどっと客が乗ってきて満席になり、栗野で乗り換えた鹿児島行きの快速列車は、相席でようやく座れるぐらいに混んでいた。
あんなにたくさんいた乗客も、今となってはどこへ行ってしまったのか、鉄道沿線はすっかり寂しくなってしまった。

2018年1月26日 (金)

旧串木野営業所

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2003年6月末に閉鎖されてしまった林田バス串木野営業所。
あれから15年。
林田産業交通には、出札窓口のある待合所が、記憶の範囲内で、川内(向田町)、湯之元や市比野、伊敷、天文館にあり、そのどこにも、このしゃれたベンチが置いてあったのを覚えている。
かつて、国道3号を走るバスが、鹿児島~川内間の主要な交通手段だった頃、並行する鹿児島本線は、ようやく電化されたばかりの単線を、無煙化された客車列車が時折走るというレベル。バスは、頻繁運転で、しかもエアサス、冷暖房完備。繁華街に直結で、お客がつかない方がおかしかった。当時の鹿児島~上川内の特急バスは、ビジネス利用も多かった。30分毎に急行、特急が出て、それなのに積み残しが出て、2台続行運転があったあの頃、今のような閑散としたバスのことは、誰も想像できなかっただろう。

2016年3月14日 (月)

針持

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国鉄宮之城線の廃止代替で、旧鉄道駅を結んで走る路線バスが新たに設定された。
県内の鉄道代替バスは、どこも大型バスを使っていたが、宮之城線についてはすべてが中型車。鉄道車両に比べると、その輸送力は格段に少なかったが、その中型バスすらオーバーサイズとなり、現在はマイクロバスが走っている。

それでも、まだ走ってくれるだけありがたい。
赤字だから鉄道がなくなるのなら、同じ理由でバスも無くなるのではないか。
当時、聞かれた話が、現実のものになりつつある。

2002年3月撮影 大口市針持

2016年3月13日 (日)

槻木郵便局前

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昨夜は、ブルートレイン多良木に泊まった。
高校以来の、同じ趣味の友人と、同窓会。

朝起きて、昔、一緒に乗りに行った槻木へ、また行ってみようという話になった。
就職する直前、まだ学生だった時、ローカルバスを乗り歩いている中でめぐり合った、槻木線。当時でも稀少になっていたモノコック、パワステ無しのベテランバスが、峠越えの専用バスとして使われていた。

「最近の床の低いバスは、ダメなんだよ、下こすっちゃうから。」

言われる通りの壮絶なヘアピンカーブ。

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運転手は、重たいハンドルを右に左に常に回し続け、
「こいつのハンドルは、腰を使って回すんだ」
と言い放ち、
「槻木線を走れるのは、人吉のベテランだけ。大型3種免許が必要」
と笑った。

しばらくぶりの槻木。
バスは廃止され、バス停も全くないから、乗り合いタクシーすらないのかもしれない。
七曲りのヘアピンカーブも解消され、峠のトンネルも改修されていた。
それでも、険しい山道はそのままで、幅も狭い。
多良木の街から30分以上峠越えの道を走り、ようやく集落に到着。
槻木の小学校は、現在も授業を行っているようで、きれいに整備されていた。

1994年12月撮影 熊本県多良木町

2014年5月22日 (木)

終点細倉マインパーク前

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終点、細倉マインパーク前駅。
現役当時のままの姿で残っていた。

駅のホーム側に回ってみると、レールもそのままで、普通に列車が走ってきそう。

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この景色、家に帰ってから、20年前に撮った写真を見返すと、ほとんど同じ構図で撮ったものが見つかった。電車の車内から撮ったもので、ここに、確かに電車が走っていた証拠にもなろう。

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これにて、一応、くりでんシリーズはいったん終了。

また、機会を見て、訪問してみたいと思う。最後に、私が乗った電車、車内のスナップを。
みんな、大人になっただろうな。

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2014年5月21日 (水)

栗原電鉄尾松駅の20年後

昨日に続き、くりでんシリーズ。

栗原電鉄は、もともと軌間762mmの軽便鉄道で開業。のちに、JRで使われている1,067mmに改軌された。

このことで、様々な「遺構」が生まれているのだが、その痕跡を気にしながら、94年当時、電車に乗った。

全線乗車して単純往復するという行程で、走行中や、途中駅での写真はほとんどないのだが、途中、車窓に見かけた貴重な痕跡の写真がある。

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当線の名物機関車。ED201。もともとナローゲージ時代に活躍していたものを、改軌に合わせて、台車の幅を広げる改造を受け、車体の割に、えらく「ガニマタ」の足をもつ。

それから、途中、尾松駅では、ナローゲージ時代に使用されていた、坑口の狭いトンネルが残されていた。

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電車の車窓にこれを見つけて、あわててカメラを構えたのを強く記憶している。
この場所だけは、なんとしても再訪したくて、比較用の写真を撮ってきた。

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トンネルも、線路もそのまま残るが、ヤブに隠れてしまっているのが残念。

駅は駅舎どころか、プラットホームもなく、駅跡に、墓標の様な真新しい標識が残されていた。

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尾松駅を出て、細倉方面へ向かう線路跡。

跡だと言われなければ、そのまま電車が走ってくるような錯覚をおぼえる。

やはり、もう1回乗っておくべきだった。

2014年5月20日 (火)

栗原電鉄の思い出

金曜の夜、5月異動に伴う、職場の歓迎会が開催された。
その席で、ひょんなことから、「鉄道マニア」の話になり、「それなら、くりでん知ってる?」と問われ、乗りに来たことを話したら、「あんたは、筋金入りだ」と太鼓判を押されてしまった。くりでんとは、宮城県北部、東北本線の石越から、内陸の細倉鉱山までのローカル私鉄である。つい、数年前廃線になってしまった。

乗りに来たといっても、94年の7月。たった1回だけの訪問である。当時は、全国の地方私鉄路線を乗り歩いていた時期で、ようこそあの時乗りに行ったと自分でも感心するほど、全国各地のローカル私鉄に乗っている。

そんな話題が出たものだから、日曜日、ドライブがてら、栗原電鉄跡を車で走ってきた。私が行った時点では、栗原電鉄を名乗っていたものの、その後、第3セクターのくりはら田園鉄道になり、電化設備を撤去、ディーゼルカーが走るようになった。私は、電車の姿しか知らないから、かえって貴重な世代かもしれない。

準備をしっかりしてから出ればよかったのだが、ロケハンを兼ねて…というか、ほんとうに、何となく車を走らせて行ってみたので、当時と比較できるような定点比較の写真が撮れていない。廃線跡がそのまんまなのに驚きつつ、当時のことを少しずつ思い出した。

94年、起点の石越駅にて

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そして、現在の同駅。電車ホーム跡は、駅利用者の駐車場に。

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よく見ると、駅前の赤い色の商店がそのまま。

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このほかにも、写真があるので、シリーズで?紹介してみたいと思う。

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