島原で泊まった宿
昭和57年前後の南福岡電車区。
当時小学生だった私は、2人のおじに連れられて、ここに行った。
確か、正月に親戚が集まった時に、おじが鉄道に乗って遊びに行くような
話しになって、それなら、この子も連れて行ってと、母が頼んでくれた。
当時、おじは、南福岡電車区のすぐ近くに住んでいて、我々は、ここに歩いて
行ったのを覚えている。
さて、この後、長崎に移動して、午後のアンゼラス号に乗って、雲仙経由で島原へ。
確か、雲仙のターミナルで乗り換えたバスは、西工のカマボコだった。
雲仙は深い霧の中で、景色も何も全く見えない山道をバスは走った。こんなに何も
見えないのに、バスの運転手は間違えることなくカーブを曲がり、さすがプロの
目には見えないものも見えるのだと、幼心に変に感心した思い出がある。
この日の泊まりは島原。宿の名前は覚えていないが、たしか、予約をしておらず、
観光案内所で案内された宿に行き、近所に食事に出かけた。
この宿、敷地の入口に島鉄の線路があり、朝早く起きた私は、腰下に広告のある
ディーゼル列車をその線路わきで見送った記憶がある。踏切のはずだが、路面
電車のように、線路は敷地と段差がなく、それが深く印象に残っている。
果たして、その時泊まった宿がどこなのか、実は今もわかっていない。
地図で探しても、ストリートビューでそれらしい場所を見ても、そんな宿は見つ
からない。あれは、夢だったのか。
記憶では、2階建ての階段がギシギシ音を立てるような古い宿だったはずだが、
なにぶん、手がかりは自分のおぼろげな記憶だけ。しかし、確かに、泊ったのだ。
偏食のひどかった私に、おじはうなぎ屋に連れて行ってくれた。翌日は、島鉄
高速船で大牟田に渡った。いろいろ覚えているのに、宿が気になって仕方ない。
最近のコメント